主張

東京大空襲77年 過去の出来事では済まぬ

東京大空襲から77年がたった。

昭和20年3月10日の未明、東京の下町一帯は米軍のB29による無差別爆撃を受け、10万超もの人々が犠牲になった。

広島、長崎の原爆忌、沖縄戦終結の日とともに忘れてはならない日である。改めて犠牲者の冥福を祈りたい。

とりわけ今年は、無差別爆撃の罪深さを思わざるを得ない。ウクライナでは、子供を含む多くの民間人がロシア軍による攻撃で亡くなっているからだ。

日本の本土への空襲は昭和19年末ごろから激しくなった。米軍は当初、軍事施設を狙った精密爆撃を主としたが、20年になると低空からの住宅密集地への無差別爆撃を行うようになった。

当時の米政府は「戦争終結を早めるため」とし、その後、名古屋、大阪など大都市のほか地方都市でも空襲を続けた。すでに日本の敗色が濃厚な時期で、かくも凄(せい)惨(さん)な無差別爆撃が本当に必要だったのか甚だ疑問である。

先の大戦をめぐっては、敗者による戦争犯罪に焦点が当てられがちだが、戦勝国の犯した蛮行も忘れてはならない。惨禍の記憶と記録を、正しく後世に伝えていくことが大事だ。

東京大空襲では、焼(しょう)夷(い)弾によって多くの住居が焼失し、被災者は100万人を超えた。

ウクライナでも、軍事施設だけでなく、集合住宅などの民間施設や原発までもがロシア軍の砲火を浴び、国外に避難した人々はすでに200万人を超えている。

産経新聞にウクライナの女性から寄せられた手記によれば、ロシア軍は避難しようとする住民に砲撃を加え、食料などの救援物資を運ぶボランティアの車両も銃撃を受けているという。

プーチン大統領がどのような口実を作ろうとも、非人道的な殺戮(さつりく)も侵略行為も許されない。無差別爆撃の惨禍を知る日本だからこそ、ロシア指弾の国際世論をリードする責任がある。

日本を取り巻く安全保障環境は不安定の度を増している。ウクライナでは地下鉄の駅などが防空壕(ごう)となった。戦後の日本では空襲への備えがタブー視され、防空体制の整備を怠ってきた。

日本政府と国民は、目の前にある危機を直視し、有事と隣り合わせにあるという切迫感を持ち、対策を講じなければならない。

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