震災11年

陛下見守られる「記憶の襷」 女川中卒業生が描く夢

宮城県女川町立女川第一中(現・女川中)の卒業生で、石碑建立の活動に携わってきた伊藤唯さん。現在は、関東各地で子供たちにダンスを教えている=4日午後、東京都渋谷区(緒方優子撮影)
宮城県女川町立女川第一中(現・女川中)の卒業生で、石碑建立の活動に携わってきた伊藤唯さん。現在は、関東各地で子供たちにダンスを教えている=4日午後、東京都渋谷区(緒方優子撮影)

「バトンズ・オブ・メモリー(記憶の襷(たすき))」。天皇陛下が昨年、国際会合で紹介された東日本大震災の津波碑が、宮城県女川町にある。千年に1度といわれた災害で死者・行方不明者が800人を超えた同町で、悲劇を繰り返さないため、震災当時の子供たちが夢見た「1000年後の命を守る」21基の石碑。昨年11月には最後の1基が完成したが、成年となった子供たちは新たな夢を描き始めている。(緒方優子)

「石碑は、過去の災害を知るうえで役立つだけではなく、未来の人々の命を守るため、災害の記憶と教訓を未来へと繋いでいく『記憶の襷』でもあるのです」。昨年6月、各国首脳ら約500人が参加してオンラインで開催された「国連水と災害に関する特別会合」。陛下は1枚のスライドを示しながら、英語でこう、語りかけられた。

スライドに映されたのは、震災直後の平成23年4月に女川第一中(現・女川中)に入学した生徒ら。社会科の授業で津波対策案を立て、町内にある21の全ての浜に避難の目印となる石碑を建てようと、募金活動を実施。半年間で1千万円を集め、25年11月に1基目を建立した。現在も卒業生ら十数人が石碑建立や教科書作り、体験の伝承などの活動を続けている。

本C女川いのちの石碑碑文
本C女川いのちの石碑碑文

陛下はライフワークとして過去の災害の記録や石碑を研究しており、女川の石碑についても熱心に資料を集められていたという。ご研究を支える広木謙三・政策研究大学院大教授(62)は「『記憶の襷』というお言葉のとおり、過去に学び未来に生かすということは、陛下が大切にされてきたメッセージ。特に、若い世代の人たちがそうした活動に継続的に取り組んでいることに、関心を持たれたのではないか」と話す。

「21基目が、できたんですね」。広木教授は昨年11月、陛下からこう、言葉をかけられたという。

× × ×

「自分たちの活動が、陛下のところにまで届いていたんだなあって。でも、まだ、これからなんです」

10年以上活動を続けてきた女川第一中の卒業生の一人、伊藤唯(ゆい)さん(23)=横浜市=は今、新たな一歩を踏み出そうとしている。最近、その「準備」として始めたことがある。

《3月11日…教室で卒業式の準備をしていた時に地震が起きて、机の下に潜った…真っ黒な津波を見て言葉を失う…みんなで歌を歌って気持ちを紛らわした》

《4月12日…私服での入学式…「愛するふるさとが、大震災で大変なことになった。社会科として何ができるか。小学校で学んだことを生かして考えてみよう」…最初の授業の先生の言葉》

スマートフォンのメモアプリに、びっしりと書き込んだ震災以降の記録。「自分の体験を、きちんと伝えられるように」と2月から書き始めた。でも、「一気には書けない」。

毎年3月が近づくと、体調を崩す。当時の光景がフラッシュバックする。眠れない。昨年10月、東京などで最大震度5強を観測した地震でも大きな衝撃を受けた。それでも、「自分の言葉で伝えていけたら、伝わり方も変わるんじゃないか」とメモに向かう。震災と向き合う「怖さ」が「なくなってしまうことのほうが怖い」。活動を通じて、そう思うようになった。

最後の石碑が完成した昨年、集まった同級生らは、「ここがスタートライン」と口をそろえた。活動について話し合う年末恒例の「合宿」にも、多くのメンバーが参加。「石碑を世界文化遺産に」「新しい教科書を作りたい」…。新たな夢、やるべきことが「山のように」出てきた。

「石碑を設置して終わりじゃない。千年先に、あの石碑を使って一人でも多くの命を救えていたら、その瞬間に、自分たちの夢が本当にかなう」。1基目の石碑が建ったあの日のように、皆で描いた夢は必ず実現できると、信じている。

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