国にして体(たい)なくんば、何を以て国となさんや 『新論』
水戸藩(現茨城県)藩校弘道館の総帥として攘夷(じょうい)思想を指導し、吉田松陰、真木和泉、西郷隆盛らに多大な影響を与え、当時の国策をも左右した会沢正志斎(1782~1863年)は、幕末最大の思想家だ。
10歳で藤田幽谷(ゆうこく)に入門した会沢は、そこで徹底的に儒学をたたき込まれた。20歳でラクスマン来航を機にロシアの南下政策を分析して『千島異聞(ちしまいぶん)』を著す。日本最大の歴史書である『大日本史』の編纂(へんさん)拠点、彰考館(しょうこうかん)に勤務し、豊富な史料に囲まれながら研究を進める。文政7(1824)年には、漂着したイギリス人船員と接触。西欧の東洋侵略について危機感を抱き、一連の研究成果を総合して翌8年に著したのが『新論』である。
そこでは、西欧の物質文明は非常に高度であり、戦国時代以来、軍事研究が停滞している日本では到底太刀打ちできないこと。また、三百年の泰平に慣れて弛みきった日本人が武士だの大和魂だの言ったところで無駄だと一刀両断する。
その上で、西欧諸国は植民地化を進める国々で、燦然(さんぜん)たる物質文明の成果を見せつけ、その源泉が西欧思想やキリスト教にあるとして土着の価値観を上書きしようとする「思想戦」を仕掛けていると警告する。
さらに、それに感化された被占領民の中には、積極的に西欧的価値観の称揚に加担し、既存秩序を破壊しようとする者さえ現れるとも喝破した。現代にも通用する極めて鋭い分析だ。