小林繁伝

ボウリングに隠されたワケ 虎番疾風録其の四(2)

伸びなくなった小林の右ひじ。巨人時代からの疲労の蓄積だった
伸びなくなった小林の右ひじ。巨人時代からの疲労の蓄積だった

「小林がことし引退を考えている」

左方キャップの情報に〈まさか〉と思った。実はこの昭和58年シーズンが始まる前、小林は若い虎番記者たちを前にこう公言していた。

「ことし10勝できなかったらオレは辞めるよ」

といってもその言葉は思いつめたものではなく「このオレが10勝できないわけがないだろう」という強気な心の表現。

この10月18日の時点で小林の成績は13勝14敗1S。負けが上回ってはいるものの「10勝」のノルマはクリアしていた。そんなコバさんが引退? まさか…。だが、一方で〈あり得るかも〉という思いもあった。それは小林の右ひじの状態だった。

巨人時代、2年連続で18勝をマークした51、52年ごろから小林の右ひじは真っすぐに伸びなくなっていたという。腕を鞭(むち)のようにしならせ、体に巻き付くように投げる投球フォームは右ひじに大きな負担がかかった。痛みはない。マッサージを受ければ元に戻り、53年も13勝を挙げた。

阪神に移籍してからも状態は変わらない。だが、当時は今のように投手の仕事も「先発」「中継ぎ」「抑え」と〝分業〟していない。1年目、22勝をマークした小林は先発に、救援に―とフル回転でリーグトップの273回⅔を投げた。2年目もトップの280回⅓。それは「酷使」を通り越え「無謀」といえた。

55年のシーズンオフだったろうか。ある日、小林に「ボウリングやりに行こうか」と誘われた。中山律子や須田開代子らスタープレーヤーが登場したボウリングブームからはや10年が過ぎていた。

「ボウリングねぇ。コバさん好きなんですか?」

「遊びに行くんじゃねぇよ。トレーニングだ」 「何の?」

「右ひじの。筋を伸ばすのには効果があるって聞いたんだ」

小林の顔は真剣だった。

その右ひじがもうダメだとしたら、引退もあり得る―と思った。

「小林が自叙伝を出版する準備をしている。その最後の章が〝さらばタイガース〟になっているらしい。お前は小林の実家に電話して、ご両親から裏を取れ」と左方キャップ。

すべて状況証拠ばかり。筆者はホテルの電話のボタンを押した。(敬称略)

■小林繁伝(3)

会員限定記事会員サービス詳細