朝晴れエッセー

表札・3月7日

遠い記憶の祖父母の家は恐ろしく古くて、ボロ家なのにやたら門構えは立派だった。表札は、その門の上部に、名字だけでなく家族の名前が1人1枚ずつ右から左にずらりと並んでいた。

夏休みの一時だけしか訪れない家の門に私の名前が掲げてあるのは、うれしい半面、〝家族〟という重みのようなものを子供心に感じることもあった。

名前は、祖父が2文字、祖母は3文字、父が1文字で、母と私と弟は2文字である。その横に「久米太郎」という漢字4文字が並んでいることが気にかかっていた。

家族の誰よりも長い名前で堂々と、まるで映画のエンドロールの最後を飾るベテラン俳優のようである。あれ?本当はもう1人、秘密の家族がいたりして。と、ドラマの主人公になった気分で妄想した。

ある夏の日、ついに「久米太郎ってだぁれ?」と祖父に聞いた。

当時飼われていた雑種犬「くー」の本名だった。

従順で気の弱い「くー」は、誰が来ても吠(ほ)えることなく番犬としては役に立っていなかったようだ。

遠くの花火の音におびえ、居間に飛び上がり隅で震えていたし、私が与えた仏前のお下がりのカステラを断ることなく食べ続け、揚げ句、土間の隅でこっそり吐いていた。

私の中の「くー」の記憶は丸まった背中である。表札のトメに収まるには少々名前負けの、まぎれもない家族の一人だった。


田房加代(62) 兵庫県尼崎市

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