東京マラソンを実現させた石原都知事は、2度目の東京五輪の誘致も発案。二人三脚で五輪開催を実現した森喜朗元首相が、石原氏の思い出を振り返る。森氏が衆院選に初挑戦したときの石原氏の応援演説の盛況ぶり、自民党内の「青嵐会」でよくハマコーさんと取っ組み合いのケンカをしていたこと、東日本大震災の年の都知事選4選出馬の舞台裏など、話は尽きない。
安倍晋三元首相が、石原氏から憲法について質問を受けた国会でのやりとりを回想した。平成元年の自民党総裁選に出馬していた石原氏がもし首相になっていたら歴史はどう変わっていただろうか、と安倍氏は思いをはせる。
政界引退時、「心残りは憲法が一字も変わらなかったことだ」と語った石原氏。その政治家としての晩年、政策担当秘書を務めていた評論家の江崎道朗氏が、当時の日本維新の会の内情を明かし「日本は結局、石原さんを使い切れなかったのだ」と述懐する。
政治家として大きな足跡を残したが、それ以前に作家であった。文芸評論家の富岡幸一郎氏は「小説家でもなく文学者でもなく文士という言葉こそ石原氏にはふさわしい」と評する。元「正論」編集長でジャーナリストの上島嘉郎氏は、写真も交えて石原氏の足跡をたどる。尖閣諸島に上陸しようとして果たせなかったこともあった。評論家の潮匡人氏が記す通り「海の男」でもあった。(溝上健良)
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