日曜に書く

論説委員・中本哲也 震災の痛み、希望の小説

今村翔吾さん
今村翔吾さん

東日本大震災から、11年になろうとしている。

「塞王(さいおう)の楯」で直木賞を受賞した今村翔吾さんについて、個人的な思い入れを書きたい。震災で大津波の犠牲になった人たち、今も復興と再生に取り組む被災地、東北の人たちへの思いを確かめ、新たにすることにもなると思う。

救えなかった命

初対面は4年前の5月。新刊の発売日に都内の書店回りをする今村さんを、大手町の丸善で待ち伏せた。

「南三陸に行ったんです」

短い立ち話で今村さんが語ったのは、小説家に転身する前のダンススクール講師のとき、教え子と震災被災地の宮城県南三陸町に何度も足を運んだ体験だった。地元の志津川小学校の子供たちと一緒に踊ったこともあるという。片想(おも)いのような感情だけど、このとき《繫(つな)がっている》と感じた。

「今村翔吾」への筆者の特別な思い入れは、平成23年3月11日から、消えることのない悲しみに根ざしている。

東北地方に壊滅的な被害を及ぼし、多くの命を奪い去った大津波は、貞観津波(869年)の再来ともいわれる。「1000年間隔で襲う津波 仙台内陸部まで遡上(そじょう)」という見出しで科学面に貞観津波の記事を書いたのは21年7月だった。

大震災1年前の22年3月には、チリ沖地震に伴う大津波警報などに対し、住民の避難率が低かったことを受けて「思い込みや自己判断を捨て、迅速に避難することが大事だ」という趣旨の記事を書いた。

大震災と大津波を予見、想定できていたのではないけれど、大切なことを伝えようとしたのは間違いない。だが、記事は無力に等しかった。人を動かす力が記事にあれば、助かった命があるはずだと、今も思う。

大震災後も、津波防災に関する「主張」やコラムでは「とにかく逃げろ。逃げてくれ」という思いを書き続けている。11年前に救えなかった命を、今に、未来に繫ぐ方法が、筆者にはそれ以外にない。

人を動かす力

デビュー作の「火喰鳥(ひくいどり) 羽州ぼろ鳶(とび)組」から、人気シリーズになった「ぼろ鳶組」にどっぷりハマった。

《この小説は、命を救えるかもしれない》

29年12月には、そのころ受け持っていた「一筆多論」にこう書いた。シリーズ3作目の「九紋龍(くもんりゅう)」を読み終えたころ、自分の記事にはない「人を動かす力」を感じたのだ。

その力は、直木賞選考委員から称賛された熱量、エンターテインメントとしての面白さがもたらすものだろう。書くことを生業とする者としては悔しさや敗北感がないこともないが、そんな負の感情より「命を救えるかもしれない」という希望が、はるかに大きかった。

「一筆多論」が縁となって、シリーズ10作目(ただし零(ゼロ)巻)の「黄金雛(こがねびな)」では、巻末の解説を書いた。見出し(タイトル)は「命を繫ぐ小説」とした。直木賞受賞で、「ぼろ鳶」の新たな読者が増えることを、望んでやまない。

新庄まつりの心意気

ぼろ鳶組シリーズは羽州新庄藩が抱える火消し組を中心に、鳶たちの活躍を描いた時代小説である。「再起」をテーマに書いたという。南三陸町で出会った人、度重なる災害や飢(き)饉(きん)を乗り越えてきた東北の歴史も念頭に「人生はやり直せる。何度でも立ち上がれる」という思いを込めた。主な舞台は江戸だが、ぼろ鳶組は東北の物語でもある。

最後に、新庄まつりについて書いておきたい。

江戸時代中期、大凶作で新庄藩領民が打ちひしがれた際、ときの藩主が「こんなときにこそ、領民が希望を持ち心ひとつにできる祭りが必要」と、盛大な祭典を行った。260年余を経て、現在も続く新庄まつりの起源とされる。

今村さんは、直木賞の会見場に人力車で乗りつけた。昨年11月からは、傾いていた書店の経営を引き継いだ。今の出版業界や書店の経営環境が厳しいからこそ、本と人、人と人を繫ぐ祭りが必要だと考えたのだろうと推察する。人力車や書店経営は「今村翔吾」なりの新庄まつりであろう。直木賞受賞作にちなんで矛盾する言葉を贈る。頑張れ、無理はしないで。

余談。初対面のとき交換した名刺の肩書は「文筆 作詞 作曲」だった。「今は肩書なし、名前だけで認められたい」(なかもと てつや)

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