新聞に喝!

北京五輪、今さらの中露批判 京都府立大教授・岡本隆司

聖火が消え、フィナーレを迎えた北京五輪の閉会式=2月、国家体育場(桐原正道撮影)
聖火が消え、フィナーレを迎えた北京五輪の閉会式=2月、国家体育場(桐原正道撮影)

北京冬季五輪が閉幕した。過去最多のメダルなど、日本選手の活躍に満足の向きも多かったはずである。

もっとも手放しで喜ぶわけにもいかない。不可解な判定やドーピング問題で物議を醸した異例の大会でもあった。

そのため新聞・メディアでも北京五輪を総括し、開催国の中国、あるいは薬物と縁の切れないロシアを批判した記事が少なくない。違和感はないけれども、開幕から眺めてきた目からすると、今さらの感を覚えては奇妙だろうか。

開幕前から問題の多い大会だった。開催国の中国は国威発揚がかかっていて、それだけに開幕時、米国が主導したいわゆる「外交ボイコット」には不満で、同様の対応を表明した日本にも、あからさまな不快感を示した。「ボイコット」の理由はかの国の「人権」状況にあって、「言論の自由」をふくむはずである。とすれば、「言論の自由」を享受する新聞・メディアは大きく騒ぎ、もっと中国を問い詰めてしかるべきところであった。

ひるがえって、去る東京五輪も開幕の是非からはじまって、利権の大きいイベントにつきもののスキャンダルに揺れた。どこの国でも程度の差こそあれ、そこはかわるまい。北京五輪もコロナ対策にスキャンダルと、不安材料には種々こと欠かなかった。

異なるのは、日本国内の新聞・メディアの態度である。東京五輪では開催・運営をことあるごとに批判し、当局をそのたび苦境に追い込んだ。それと比較すれば、北京五輪のほうは開幕前から開催中、おとなしいものであって、「言論の自由」を認めない中国当局に逆らう姿勢を、少なくとも当初はとらなかった。

筆者は歴史家なので「言論の自由」を普遍的、絶対的な価値・権利とみる考え方にはくみしないし、拙稿もそう主張する目的はない。たんに「言論の自由」を享受しながら、その否定に迎合的な新聞・メディアの姿勢・体質を問いたいだけである。

そんな二重基準が故意なら問題だし、無意識ならもっと始末が悪い。日米の権力を批判しても、対極に位置する権力には迎合する。それなら日本の新聞・メディアは、閉幕後に批判した中国・ロシアなどの権威主義的な体質にむしろ近いのではないかとも感じる。だから「言論」の恣意(しい)的な行使を咎(とが)めない「自由」主義の米国・日本ばかり批判するのか。拙稿の趣旨がぜひ錯覚・誤謬(ごびゅう)であらんことをむしろ望みたい。

【プロフィル】岡本隆司

おかもと・たかし 昭和40年、京都市生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。専攻は東洋史・近代アジア史。著書に「『中国』の形成」など。

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