朝晴れエッセー

母とパンツ・3月5日

「いつ倒れてもいいように、パンツだけは綺麗なものにしていなさい」

母の口癖だった。

コロナ禍、突然母が倒れた。心臓発作で意識を失い、愛用の椅子から転げ落ちて。

私が集中治療室に入ったとき、母は裸で、たくさんの機器につながれ、白い布を一枚かけられただけの姿で横たわっていた。

これまで何回も入院し、その度に新しいパンツを何枚も用意する私に、母はいった。

「そんなにパンツばかり買って、わたしのお尻は一つなんだよ」

父が亡くなり、広すぎる一軒家でヘルパーさんに助けてもらいながら、一人暮らしを通した母。

私は白いだけのパンツじゃつまらないと、花柄のかわいいものも買ってみた。

しかし、母は「もったいない」と、はかずにタンスへしまい込んだ。

母が倒れたあの日、一体母はどんなパンツをはいていたのか。今となっては、知るよしもない。

わかるのは、もう二度と母に新しいパンツを買うことはない、ということ。

集中治療室の母に、花柄や未使用のパンツを全部はかせてあげたかった。そうすればきっと、母はすぐに起き上がって、こういっただろう。

「わたしのお尻は、一つなんだよ」


長谷川美雪(68) 埼玉県飯能市

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