3月3日
空襲のサイレンで夜中に何度も地下のシェルターに逃げ込んだ。あまり眠れなかった。市当局がその都度、スマートフォンに通知を送ってくる。赤いドットが付いていれば「警告」、緑のドットなら「消灯」。
午前11時から午後6時ごろまでは、一度もサイレンが鳴らなかった。だから食料品を買いに行くことができた。200人の行列で、2時間半待っていた。みんな落ち着いて、おしゃべりしながら待っていた。
パン屋はまだ営業していて、パンはみんなに行き渡った。キャットフードも買えた。わが家には10匹のネコがいるから、これはとても重要なこと。
ただ、シジュウカラに食べさせるヒマワリの種が買えなかった。冬になると多くのシジュウカラが餓死してしまうので、ずっと餌を与えている。もうすぐ春だね。シジュウカラが自分で餌を見つけられるようになれば、と思う。
役場はボランティアとともに、自分で店に行けない人のために、食料品や医薬品の配給を手配している。ごみの収集も続けているが、危険な状態のため、市民は生ごみのみを出して、自宅で一時保管できる紙やプラスチックは捨てないようにとお願いされている。
戦時にあっても、公共事業や交通機関はすべて機能している。
息子のセウェリン(8)は「いつ戦争が終わるの」としきりに聞いてくる。「早く終わるといいね」と答えると、「正確な日付を教えて」と言われてしまう。
「ママ、明日終わりなの? それとも明後日?」
何と答えればいいか、分からない。
息子の4月の誕生日のために購入していたコンストラクター(ブロックのおもちゃ)をプレゼントしてあげた。4月まで生きられるかどうかは分からないし、コンストラクターなら、今の重い気分をまぎらわせることができるかな。
ニュースによると、通りのあちらこちらに散らばっている子供のおもちゃには爆発物が隠されている可能性があるそうだ。だから子供におもちゃを拾わせるのはだめだ。
「生きているか?」
「はい。そちらは」
「こちらもまだ生きている」
これが一日の始まりと終わりに、友人や親戚との連絡で交わすあいさつだ。
昨日の砲撃でインターネットのプロバイダーの設備が被害を受けてしまった。砲撃のせいで修復不能。世界とのつながりはスマートフォンのみ。電波塔が気になる。
キエフは絨毯(じゅうたん)爆撃を受ける可能性が高いといわれている。砲弾が家に落ちて、出口ががれきにふさがれることに備えて、地下室に防寒着と水とシャベルを持ち込んだ。
敵の航空部隊の注意を引かないように、夜間は電気をつけることができない。でも、自分の家ではどこに何があるか分かっているので暗くても暮らしやすい。
× ×
10年以上、日本語を話すチャンスがありませんでしたから、間違いだらけでどうもすみません。インターネットがあるうちに、できるだけ日記を書こうと思います。キエフ郊外から ユーリア・クリメンコ(34)
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IT会社勤務のユーリアさんはキエフの自宅にとどまり、夫と息子のセウェリン君、60代の両親と戦禍を生きている。学生時代に日本語を専攻し、1年間の留学経験もある。先日、砲撃におびえるセウェリン君がグーグルで「戦争の止め方」を検索していたことを報じ、話題になった。
産経新聞に日本語のメールで寄せられるユーリアさんの日記を、随時掲載します。(内容を一部加筆・修正しています)