中学生のころから「責任は重いが、やりがいのある仕事だ」と警察官に憧れていた。しかし、高校卒業時に受けた採用試験は不合格。「ショックだった」が、諦めなかった。翌年は女性警察官の募集がなく、採用があった交通巡視員の試験を受けて合格した。
最初の配属は千葉中央署。路上駐車が絶えない千葉市・富士見の繁華街などで取締りを行った。態度の悪い違反者も多く「こんな仕事してると嫁にいけないぞ」と心ない言葉をかけられたことも。「悪い人たちの前で絶対に涙は見せない」と毅然(きぜん)と取り締まり、署に戻って涙を流したこともあった。
交通巡視員の廃止に伴い、平成9年に警察官となった。その直後の当直勤務中、20代男性が亡くなる交通事故が発生した。初めての死亡事故の現場だった。
未明の事故で、目撃者はおらず、当事者は全員病院へ。原因を特定するために、必死に事故の痕跡を記録した。昇ってくる朝日を背に、応援の先輩の姿が見えたときは「涙が出そうになった」と振り返る。
こうした地道な経験の積み重ねから生まれた交通安全教育のアイデアには定評がある。千葉県内自治体で高齢化率トップの御宿町を管内に抱えるいすみ署では高齢者ドライバーの事故対策は重要課題だ。そこで、署長による「運転卒業証明書授与式」を企画し、管内の免許返納者の増加に大きく貢献した。運転に必要な視力や聴力、判断能力などが低下しても、運転免許を自主的に返納する高齢者はそう多くはない。「免許を継続することが心理的なよりどころになっている方もいる。なんとか免許を返納しやすい環境を整えたい」との思いだったという。
家で料理をしているとき、ふとアイデアがひらめくという。今も、春の交通安全運動に向けてひそかに計画を練っている。(長橋和之)
すずき・みどり 昭和58年4月に交通巡視員として県警入り。平成9年から警察官となり、交通総務課などを経て28年からいすみ署で交通課交通係長を務める。趣味はピアノと畑作業。