「あの日」の記憶 英語で紡ぐ 震災11年 岩手・陸前高田の佐藤貞一さん

佐藤さんは今も、津波の被災体験を毎日欠かさず書き加えている=2月23日、岩手県陸前高田市の種苗店内
佐藤さんは今も、津波の被災体験を毎日欠かさず書き加えている=2月23日、岩手県陸前高田市の種苗店内

東日本大震災の被災者として、あの日を記録することが生きる支え-。震災からまもなく11年。岩手県陸前高田市で種苗店を経営する佐藤貞一さん(67)は日本語ではなく、あえて英語で当時を記す。「自分のような年寄りが生き残ってしまった」。折れそうになった自分の心を奮い立たせるために、若くして亡くなった犠牲者の思いを胸に。(植木裕香子)

突き上げるような揺れが襲い、海が迫ってきた。平成23年3月11日。海岸線から約2キロ離れた市街地に自宅兼店舗があった。買い物先から慌てて帰宅し、妻の無事を確認すると、母の安否を確認するため、内陸部の実家へ急行して、自身は津波を逃れた。

自宅兼店舗は津波にのまれ、叔父夫婦や友人、知人らが犠牲になった。震災前から英語を教えてもらっていた米アラスカ州出身の外国語指導助手(ALT)、モンゴメリー・ディクソンさん=当時(26)=が亡くなったことも知った。

「年寄りが生き残り、若い人が死んだ。申し訳ない」

難を逃れたことが罪に感じられた。ディクソンさんの遺族からかけられた「頑張って生きて」との言葉が救いだった。

震災から数カ月後。店舗の跡地にプレハブを建てて商売を再開した。関心を持った海外メディアから取材を受けるようになった。

「日本語をしゃべれない記者もいるから、英語で(被災体験の)説明書を1枚書いておこうと思った。その紙を持っていけというつもりで…」。英語で記録を残すきっかけになった。

体験をまとめた紙は、いつしか30枚を超え、24年3月、1冊の本にまとめて自費出版した。タイトルは「The Seed of Hope in the Heart」(心に希望の種を)。「心に種をまきたいな、と思って」と佐藤さんは話す。

この世の終わりだと思った「3・11」。流されないように必死でつかんだ雑草が抜けて姿が消えた男性、遺体にしがみついて「お母さん、お母さん。なんで死んじゃったの」と泣きじゃくる子供の小さな背中…。いまも鮮明によぎる。

そんな光景を日本語で表現することが難しかった。

「心にずんと重く入ってくるから。英語は、わけが分からないからいい。ストレートに心にこない」

英語はけっして得意ではない。辞書と首っ引きだから時間もかかる。それでも抱え込んだ悲しみを素直に書ける気がした。

英語で書いた記録は初版から第5版まで計約5千冊が売れた。執筆中の第6版は700ページ前後になりそうだ。チリ地震(昭和35年)での津波の教訓や、高台に市街地を設けることの重要性など、安全な街づくりについても書き込んだ。

「死んだ人のことを思えば、やれないことはない。そう思うと、書く大きな力が出てくる」

亡くなった人々の顔が浮かんでくる。

「その人たちの分まで頑張らなくちゃ。思いが乗りうつっているような気がするから」

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