TOKYOまち・ひと物語

謎の寄生虫「芽殖孤虫」を追え! 目黒寄生虫館館長、倉持利明さん

寄生虫の標本写真を示す倉持利明さん=東京都目黒区の目黒寄生虫館(内田優作撮影)
寄生虫の標本写真を示す倉持利明さん=東京都目黒区の目黒寄生虫館(内田優作撮影)

「目黒寄生虫館」(東京都目黒区下目黒)は、世界でまれな寄生虫専門の博物館だ。館長の倉持利明さん(66)は長年、国立科学博物館で寄生虫の正体を追ってきた研究者。幼虫のままで人を死に至らしめる謎の寄生虫をはじめ、奥深い寄生虫の世界の一端を教えてくれた。

未開拓の分野で勝負

目黒寄生虫館は昭和28年、寄生虫研究の世界的な権威だった亀谷了(かめがい・さとる)さん(1909~2002年)によって設立された。現在は世界中から集めた標本約6万点を所蔵し、うち約300点を展示している。

目黒寄生虫館に展示されている芽殖孤虫の標本(内田優作撮影)
目黒寄生虫館に展示されている芽殖孤虫の標本(内田優作撮影)

昨年4月から館長を務める倉持さんは、東京水産大(現東京海洋大)を卒業後、神奈川県内の水族館でイルカのトレーナーなどをしていた。転機は水族館を退職して哺乳類の研究者を志した大学院時代。水産庁の調査航海に携わる中で研究テーマに悩んだ。「イルカだけでも形態学から公害の影響など、いろいろなアプローチがある。どこで勝負するかが肝心だった」

そこで目についたのは、解剖をするたびに遭遇する寄生虫。未開拓の分野だった。「イルカの寄生虫という分野などアメリカに研究者が1人いたくらい。これなら勝負できる」。同庁へ寄生虫のレポートを提出するうち、「寄生虫なら倉持」と認められ、寄生虫研究への道が開く。

以来、食中毒の原因にもなるアニサキスの生活サイクルを突き止めるなど実績を上げてきた。今もなお「サンゴ礁の魚類の寄生虫は分かっていないことが多い。沖縄か小笠原へ行きたい」と意欲を燃やす。

長年の研究実る

長年研究に取り組んできた一つが、致死率が高く有効な治療法も見つかっていない寄生虫、芽殖孤虫(がしょくこちゅう)だ。

明治37年に日本で発症例が報告されたのを皮切りに、世界各国で十数例の発症が確認され、うち5例が日本人。体内での増殖が速いことから致死性が高いものの、具体的な種が何であるかや感染経路、生態も大きな謎に包まれていた。

倉持さんは1981年にベネズエラで採取された芽殖孤虫を長年にわたり増殖させ、維持していた。宮崎大などとの研究チームに加わり、昨年5月、芽殖孤虫が「マンソン裂頭条虫(れっとうじょうちゅう)」と呼ばれる寄生虫に近い独立した種で、成虫になることはないとする研究結果を発表するに至った。

昨年の国立科学博物館退職を機に、芽殖孤虫を東京慈恵会医科大に委ねて研究を引き継いだ。「芽殖孤虫は早期の発見で対処できる可能性がある。免疫学の専門家ならば、早期の診断法を発見するのも、そんなに難しくないはずだ」と研究の発展に期待を寄せる。

たずなを緩めるな

館の1、2階の展示室にはさまざまな標本が並ぶ。「いろいろな人たちが寄生虫対策のために活動していた。そういう歴史を伝承しないといけない」。そう力を込めるが、同時に危ぶむのは寄生虫研究の退潮だ。

「多くの大学はワクチン開発などに重心が移り、寄生虫の自然史研究がやれなくなっている」。そんな中で、目黒寄生虫館には3人の研究員が在籍し、調査研究活動にも取り組んでいる。新型コロナウイルス禍で減収が続くが、「研究を守る責任は重い」と、年内に500万円を目標に寄付金確保も呼び掛ける。

平成27年度、学校のぎょう虫検査が廃止された。公衆衛生の改善とともに、寄生虫症の影は消えつつあるように映るが、「コロナ禍で思い知ったように、感染症はなくなっていない。一歩外国に出れば衛生状態の悪い国は多く、日本にも北海道のエキノコックスなどがいる」と警鐘を鳴らす。

「人間は寄生虫に勝ったと思うのは間違いだ。手綱を緩めてはいけない」(内田優作)

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