北京冬季五輪を現地で取材するという貴重な体験をした。スポーツの魅力の一端に触れられたことはもちろん、新型コロナウイルス禍だからこそ体験したこともあった。現地では午前7時から9時までの間にPCR検査を受け、その後、ようやく取材先へ。それがルーチンになった。さらに外部との接触を避けるため、宿泊先のホテルや試合会場、メインメディアセンターなど特定の場所にしか行けない「バブル方式」。それでもバスやタクシーでの試合会場への行き来には大きな支障はなかった。
ただ、気持ちは張りつめていた。現地で取材するには日本出発前の96時間以内に2度、コロナ検査で陰性となることなどが求められた。取材証の数には限りがあり、登録した記者の変更もできない。「もし行けなくなったら紙面はどうなるのだろう」と考えることもあった。「陽性だったら運が悪かったということ」と分かってはいても、検査結果を確認するときは入試の合格発表のような緊張感を味わった。
もちろん同列にはできないが、通知一つで晴れ舞台に立てなくなる恐怖とも戦ってきた選手たちにとって、コロナ禍の五輪がどのようなものか改めて分かる気がした。
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コロナ禍でオンライン取材も増えたが、アスリートが発する「生の声」は現場で聞くのが一番。会場での取材エリア「ミックスゾーン」では、人間の感情の奥深さや歴史の継承を感じさせてくれる印象深い場面が相次いだ。
スピードスケート女子の高木美帆は、銀を獲得した女子500メートルの後、気圧が低いために好記録が出やすい高地での自己ベストを〝気圧〟に頼らず更新したことに質問が及ぶと、必死に笑いをこらえようとしながらこらえきれなかったのか、本当に楽しそうに下を向いて笑った。
「終わるまでは言えなかったんですけど、1カ月前に右の足首を捻挫しまして…」。女子500メートルの前回女王、小平奈緒が声を詰まらせながら打ち明けたのは1000メートルのレース後だった。
銀となったカーリング女子日本代表の本音が聞けたのもミックスゾーンだった。会見では「うれしさ半分、悔しさ半分」と話した藤沢五月だが、ミックスゾーンでは「納得のいく試合ができなかった悔しさ、もっともっとできたという悔しさと、隣で英国が金メダルをかけているのをみて、やっぱり悔しいんだなというのは感じました」。
アイスホッケー女子は初の決勝トーナメント進出を果たしたが、初出場だった山下光が「決勝トーナメントに行く難しさというのは分からない部分。(過去の)2大会に出ている先輩方が『頑張ってきてよかった』と話しているのを聞いて、すごいなって思いました」と話すのを聞いて歴史の流れを感じた。
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スキー・ジャンプのスーツ規定問題やフィギュアスケート女子のドーピング問題など、コロナ禍で行われた2度目の「平和の祭典」も多くの問題が噴出したが、選手たちの奮闘によってスポーツの魅力を再認識させてくれたのも確かだった。その報道に携われたことは大きな喜びだが、心残りがないわけではない。
ホテルのそばに屋外卓球場があった。ずらりと並ぶ卓球台では多くの人が楽しんでいた。朝、その風景をみるのがささやかな楽しみだった。バブルの外に出ることができたなら、その人たちとも交流できただろう。
次の五輪は2024年のパリ、冬季は26年のミラノ・コルティナダンペッツォ(イタリア)となる。コロナに振り回される五輪は今回が最後になることを祈るばかりだ。