ウクライナの人々がSNS(会員制交流サイト)を通じて産経新聞の取材に応じ、ロシアが侵攻を開始した24日前後の様子を語った。緊迫した情勢の下で危険を避けうる最善策を懸命に考え、行動した様子がうかがえる。
首都キエフに住むカメラマンのパブロ・リパさん(31)は24日朝の開戦を受け、同じ市内に住む母親と祖母を保護するため車を走らせた。用心のため、「ガソリンは前夜に満タンにしておいた」という。
3人で一緒にいた25日朝、爆発音で目が覚めたリパさんは空襲警報を聞き、母親らを連れて地下鉄の駅に一時避難。しかし、「母親と祖母の疲労はもう限界」と判断し、2人を連れて車で首都を出発し、ウクライナ西部に入った。「詳細な居所は明かせないが、国を離れる気はない」という。
キエフに住む音楽家の女性(27)は開戦前の22日夜、一時避難先の西部の古都リビウから自宅に戻った。「危ないところに帰ってきてしまった」と後悔し、一時は市内の地下鉄駅に移動。構内には就寝用にマットや毛布を持ち込み長期戦を覚悟する人もいた。
25日夜、家族の求めに応じて列車で実家のある東部ドニプロに出発。「私は切符を買ったが、列車には誰でも乗ることができた。客室や通路には人があふれ、多数のペットもいた」。26日朝、実家に着いた女性は「祖母は第二次大戦時のことを覚えているから、1カ月分の食料を常備しているはず」と話した。
リビウ在住の主婦、イリーナ・ボイツェクさん(46)は26日朝、空襲警報が鳴ったためラジオをつけ、地元政府が「シェルターに避難せよ」というメッセージを流しているのを聞いた。
すぐに自分の母と娘、預かっていた兄の子供3人を連れ、自宅で一番壁が厚い半地下部分に隠れた。「兄夫婦は医療従事者で24時間、病院に詰めていなくてはならない」という。27日は警報は少なかったが、街頭に出る人は減っているとし、「みな家にいるのだろう」と推測した。(ポーランド南部ジェシュフ 佐藤貴生)