書評

『異常 アノマリー』エルヴェ・ル・テリエ著、加藤かおり訳 とびきり面白い純文学だ

『異常 アノマリー』エルヴェ・ル・テリエ著、加藤かおり訳
『異常 アノマリー』エルヴェ・ル・テリエ著、加藤かおり訳

小説ファン必読の注目作だ。

殺し屋、純文学作家、映像編集者、がん患者、7歳の少女、弁護士、歌手、建築家と次々に視点がかわり、それぞれの人生と生活が陰影深く捉えられていく。共通するのは皆3月に、パリからニューヨークへと向かうエールフランス006便に乗り合わせて激しい乱気流に巻き込まれたことだ。無事もとの生活に戻ったけれど、彼らは、約3カ月後の6月に再び、エールフランス006便に乗り合わせる。誰一人欠けることなく。

3部構成だが、第1部の最後に、これは何?と驚く場面が出てくる。予想もしなかったことが起き、予想もしなかった展開をたどる。フランス文学最高峰のゴンクール賞受賞作でフランスでは110万部を超えるベストセラー、アメリカでは「ベスト・スリラー2021」(ニューヨーク・タイムズ)に選ばれるなどミステリーとして高い評価を受けたのも納得だ。物語の向かう先が気になって仕方ない。

フランスの小説らしく学究的かつ哲学的な対話もあるけれど、決して難解ではない。テレビショーの場面を組み込んだり、手紙やメールや歌を採用したりと文体も実験的だが、少しも鼻につかない。それどころか夢中になってしまうのは、作者が驚くほどストーリーテリングの才能に秀でているからである。群像劇風に目まぐるしく視点を変えながらも一切の混乱を与えることなく物語を進めていき、それぞれの固有のドラマを暗黒小説風に、心理小説風に、恋愛小説風に自在に見せながら、テーマを少しずつ前面へと押し立ててくる。これがうまい。

多くのテーマが含まれているが、いちばんは(ネタばれになるので詳しくは触れられないが)「自分が存在することとは何なのか」だろう。小説には「真実とは、それが錯覚であることを忘れられた錯覚である」(ニーチェ)の言葉が出てきて、「世界全体が新たな真実に直面し、わたしたちの錯覚のすべてが見直しを迫られています」と人物に語らせているが、まさにいま自分が見ているもの、あるものと感じているすべてが錯覚ではないのかと読者にも突きつけるのである。

純文学なのに、とびきり面白い、鋭く知的な娯楽作だ。(早川書房・2970円)

評・池上冬樹(文芸評論家)

会員限定記事会員サービス詳細