藤圭子さんの兄、藤三郎さん51年ぶり再デビュー 「妹に聴かせたい」

51年ぶりに再メジャーデビューした藤圭子さんの兄、藤三郎さん。浅草・初音小路で=東京都台東区
51年ぶりに再メジャーデビューした藤圭子さんの兄、藤三郎さん。浅草・初音小路で=東京都台東区

伝説の歌姫として知られ平成25年に死去した藤圭子さんの実兄で、元演歌歌手の藤三郎さん(72)が23日、CDを発売、昭和46年以来51年ぶりに再デビューを果たした。曲は東京・浅草が舞台の恋の歌「浅草の夜」。かつて、妹と飲み屋で歌うギターの「流し」をして歩いた思い出の地だ。三郎さんは「天国の妹に聴かせたい」と話す。

夜の浅草で生まれた詞

三郎さんは北海道出身。浪曲師の両親、2歳下の圭子さんと上京し、一家で流しをした。圭子さんは昭和44年、「新宿の女」でデビュー。翌45年、「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットした。

三郎さんも同じ45年にCBSソニーからデビュー、レコードを3枚出したものの、翌年引退した。その後は浅草でクラブなどを経営。現在は浅草の初音小路で妻が飲み屋「松よし」を営み、三郎さんも客から請われてギターを抱える。

昨年10月、一人の作詞家が偶然、浅草を訪れた。冬木夏樹の筆名で作詞も手がける音楽プロデューサー、千賀泰洋(せんが・たいよう)さん(77)。ちあきなおみさんや川中美幸さん、島津亜矢さんらを育てた名伯楽だ。

千賀さんは「松よし」も訪れた。昭和の雰囲気がぷんぷん漂う飲み屋横丁に歌詞の着想を得た千賀さんは、数日後、詞を携えて再び三郎さんと会った。

《雨のふる夜 のれんが揺れて》

「これに曲を書いて、歌ってよ」。作曲者の欄にはすでに「藤三郎」と書き込んであった。

もう一度歌ってほしい

浅草に近い上野のガード下にある演歌専門CD店「アメ横リズム」。電車の轟音(ごうおん)に負けない大音量で、店頭のスピーカーから「浅草の夜」が雑踏へ流れ出す。

今回、千賀さんを三郎さんと引き合わせたのは、この店の名物店主、小林和彦さん(84)だった。昭和44年から、自分で聴いて納得し、薦められるものだけを売って52年。演歌界で知らない者はいない。三郎さんとは、1回目のデビューをした45年、キャンペーンで店に来て以来、半世紀以上のつき合いという。

小林さんは「藤三郎は当時、自分がほれ込んだ歌い手だった。紅白へ送り出したかったが、突然辞めてしまった。それ以来、なんとかもう一度、歌ってほしいと思っていた」と話す。

昨年末、江戸川橋のスタジオでのレコーディングにも立ち会った。半世紀ぶりのスタジオに緊張する三郎さんの肩を抱き、ペットボトルの水を差し出した。

兄妹で流した思い出

三郎さんにとって浅草は、実の妹、圭子さんとの思い出の地だという。

「最初は錦糸町で流しをやっていたが、『稼げるから』と半年ほどして浅草へ移った。妹と2人だけで流したこともある。今回、千賀先生が歌詞に浅草の『花やしき』や伝法院通りを描いてくれて、妹と歌ったころを思いだしました」

歌手の藤圭子さん=東京都内【撮影日:1996年08月26日】
歌手の藤圭子さん=東京都内【撮影日:1996年08月26日】

ただ、酔客や店のママからどんなにせがまれても、「藤圭子」の歌は歌わないという。

「恥ずかしいから。自分が、どこまで行っても『藤三郎』ではなくて『藤圭子の兄』なのは仕方ない。けれど、歌は絶対負けるから」。こう振り返り、昭和22年のヒット曲で「こんな女に誰がした」の歌詞で知られる菊池章子さんの「星の流れに」を挙げた。

「妹との思い出の曲は『星の流れに』なんです。演歌歌手を目指すきっかけでした。流しのときは自分が1番を歌って、2番は妹。そのとき妹が『おんちゃん、キー』って言う。妹のほうがキーが低かったから、キーを下げるんです」

三郎さんの歌声について、千賀さんは「初めて聴いたとき、わびさびの効いた味わいのある歌声に、まさに演歌の神髄、王道だと思った。それは年齢を重ねたからこその、味わいかもしれません」と話す。

「浅草の夜」は、徳間ジャパンコミュニケーションズから発売。3月8日午後5時からは、南千住の映画喫茶「泪橋ホール」で発売記念ライブも開かれる。

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