話の肖像画

桂文珍(20)「90歳の枝雀さん」を見たかった

桂枝雀さん死去で会見する桂米朝さんら=平成11年
桂枝雀さん死去で会見する桂米朝さんら=平成11年

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《桂枝雀(しじゃく)さんは昭和14(1939)年、神戸市出身。神戸大学を中退して、桂米朝(べいちょう)師に入門した。オーバーなアクションと独特な語り口で爆笑を誘い、全国的に人気が沸騰した。文珍さんは、古典落語を画期的なやり方で面白く演じた枝雀さんに衝撃を受け、教えを請うたことがある》


枝雀師匠のやり方はすごかった、と思います。見てたら、どこを工夫されたのか? どこでお困りになったのか? 分かるんです。芸人同士だから、その痕跡が見えるんですね。

60歳前に亡くなられましたが、できることなら、80歳、90歳になられた枝雀師匠の噺(はなし)を聴きたかった。あのままのやり方だったら、きっと体力が持たないでしょうから。

どんな工夫をされて、どんなふうに変わられるのか、見てみたかったんです。


《枝雀さんは、たびたび鬱病を患うことがあった。平成11年、死去する》


枝雀師匠は、ずっと落語のことばかり考えておられた。ただねぇ、優秀な人は考えすぎてしまうところがある。

優秀だから鬱にもなられた、(落語を)楽しめなくなった、と思うんです。

あまり考え過ぎず、程よい〝遊びの部分〟が必要だったのでは? 自分の中で「楽しみの部分」をつくらないといけなかったのでしょうかねぇ。私にはわかりません。


《新作落語の分野で、文珍さんが影響を受けた、という三遊亭円丈(えんじょう)さん(昨年11月、76歳で死去)も、落語に対して「真面目な人」だった、という》


円丈師匠も(落語を)「真っすぐにとらえる」人でしたねぇ。探究派というか、芸を「楽しむ」ということから程遠い。いつも「どうしょうか?」と考えておられた。

円丈師匠と一緒に、なんば花月(かげつ)に出たことがあったんですよ。出番の間の時間も、ずっと考えておられた。僕はもうちょっと「気楽」に楽しみたいと思うんですけどね。

面白かったのは、休憩時間に、私が散髪に行くと、円丈師匠も「僕も行くから」とついてきて、横で一緒に散髪したこと。東京からなじみのない場所(大阪)へ来られたから、心細かったのかもしれませんねぇ。

とにかく円丈師匠は、いろいろな研究をなさっていたし、実際にいろいろな試みをされていた。私も大いに刺激をうけました。


《立川志(たてかわし)の輔(すけ)さん(68)も全国的に高い人気を誇る落語家だ。独演会などの動員力は抜群。新作、古典両方で高い評価を受け、テレビ番組の司会で活躍した点でも、文珍さんに似ている。どう見ているのか? それを聞くと…》


うーん、ひと様(さま)の評価は申しません、大人ですから。

もちろんこの人はいいな、うまいなぁ…と思う。同じ時代をともに生きる上で、刺激をいただけるありがたい相手です。当然、僕とはやり方が違います。まぁ、お客さんは両方を、いろんなやり方を楽しんでもらえれば、いいんじゃないですか。


《テレビの人気者である後輩、明石家さんまさん(66)に、落語の世界に戻るよう呼びかけたこともあった》


冗談半分で言うてみたことはありましたね。だけど、もう遅いでしょう。今から(落語をやっても)間に合わないかも。

やっぱり彼は、メディア、テレビの中で「泳いだ」ほうが合っている。彼はもう「サンマ」ではない、大きな「クジラ」です。そう思いますね。(聞き手 喜多由浩)

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