新聞に喝!

ウクライナ危機 露の偽情報、日本でも拡散 日本大教授・小谷賢

軍事訓練を終え、ウクライナ南部クリミア半島から撤収するロシア軍戦車=16日(ロシア国防省提供・AP)
軍事訓練を終え、ウクライナ南部クリミア半島から撤収するロシア軍戦車=16日(ロシア国防省提供・AP)

ウクライナ情勢は予断を許さぬ状況となってきた。「米 大使館を一時移転」(16日の産経)など緊迫の度を増している。ただし戦争となるにしても、軍事力による侵攻という古典的なシナリオは想定しづらい。あるとすれば2014年のクリミア侵攻で実施されたようなハイブリッド(混合)戦争という手法が用いられることが予測される。そしてこの種の戦争で重要になってくるのは偽情報工作だ。当時ロシア側はクリミアに偽情報を流し続けることで、現地ロシア人にウクライナ政府への反感を植え付けた。その中には「クリミアはソ連からウクライナへプレゼントされたものだ(つまりもともとはロシアのものである)」といった真贋(しんがん)のややこしい偽情報などが見られる。こうして現地ロシア人の支持を確立した上で、ロシア軍が介入することになった。つまり軍事侵攻作戦の前段階として偽情報工作が行われるものと推察されるが、その兆候は現れつつある。

現在、ロシア側は1990年のベーカー発言を米国の「約束」として宣伝している。これは当時のジェームズ・ベーカー米国務長官がミハイル・ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長に対して「NATO(北大西洋条約機構)がドイツより東に一インチも拡大することはない」と発言したものである。しかしこれはあくまでも当時の情勢を背景にした「発言」にすぎず、国家間の約束となる条約の形にはなっていない。むしろ公式のものとしては、94年に米英露が調印したブダペスト覚書があり、ここではウクライナの領土保全や安全保障について明記されている。しかしロシアによるクリミア半島併合によってこの覚書の精神は踏みにじられており、さらに今回、ロシアはベーカー発言を利用して、その正当性を主張している。そして日本でもこのようなロシア側の主張を受け入れて、情勢緊迫の責任は「約束」を反故(ほご)にした西側にあると主張するメディアも見られる。ベーカー発言は厳密には偽情報ではないが、真実にわずかなスパイスを加味して拡散するやり方はロシア情報機関の常套(じょうとう)手段であり、この種の工作が急増するといよいよ危ないということになる。

13日の産経は、防衛省が偽情報対策として「グローバル戦略情報官(仮称)」を設置すると報じた。本情報官はサイバー空間上の偽情報を収集・分析し、相手方の政治・軍事的意図を見抜くことが職務だという。日本政府も外国政府機関による偽情報工作への対抗策にようやく着手し始めたようだが、今回設置されるものは、防衛省・自衛隊の安全保障政策のため、非公開を前提としたものと推察される。今後は国民向けに警告を発する官製ファクトチェックの設置も急がれるところだ。

【プロフィル】小谷賢(こたに・けん)

昭和48年、京都市生まれ。京都大大学院博士課程修了(学術博士)。専門は英国政治外交史、インテリジェンス研究。著書に『日本軍のインテリジェンス』など。

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