一聞百見

竹本千歳太夫 浄瑠璃を「お取りつぎ」

4月に「切場語り」に昇格する竹本千歳太夫。 「一日中、浄瑠璃のことが頭から離れないですね」と話す=大阪市中央区の国立文楽劇場前(柿平博文撮影)
4月に「切場語り」に昇格する竹本千歳太夫。 「一日中、浄瑠璃のことが頭から離れないですね」と話す=大阪市中央区の国立文楽劇場前(柿平博文撮影)

大阪が誇る伝統芸能、人形浄瑠璃(じょうるり)文楽。人間の業(ごう)や情愛を深く描いた舞台は江戸以降、長きにわたって人々に親しまれ心を動かしてきた。そんな文楽の世界に4月、新たに3人の太夫が「切場(きりば)語り」に昇格する。物語のクライマックスを語る太夫に与えられ、番付の名前の上に「切」の一文字がつく栄誉ある称号で、3人のうち最も若いのが竹本千歳太夫(62)だ。「感無量です。同時に責任も感じています」。全身全霊の語りを貫き、浄瑠璃に魅入られた太夫は文楽新時代を見据える。

千歳太夫の言霊

言葉にはそもそも霊力がこもり、人が声に出して発することで不思議な力が宿る。それが「言霊(ことだま)」である。千歳太夫が語る浄瑠璃には、その存在を感じるときがある。

「文楽で描かれている物語はみなフィクションです。でも、その噓をいかに真実のように聞かせて、信じてもらえるように語ることができるか、それが大切だと思います」

4月、文楽の世界に誕生する3人の「切場語り」の太夫の中で最年少が千歳太夫。切場語りは長く、人間国宝の豊竹咲太夫(さきたゆう)が1人でその重責を担ってきた。新しい切場語りの誕生は咲太夫以来、実に13年ぶりとなる。

 「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」から「桜丸切腹の段」を勤める竹本千歳太夫=令和3年1月、大阪市中央区の国立文楽劇場(国立文楽劇場提供)
「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」から「桜丸切腹の段」を勤める竹本千歳太夫=令和3年1月、大阪市中央区の国立文楽劇場(国立文楽劇場提供)

「切場語りは一つの目標でしたので、正直、本当にうれしいです」。大きな目を開いて素直に喜びを口にする。

「ただ、責任は感じます。当たり前ですが、絶対に喜んでいただける語りをしなければならない。また、後輩に身をもって義太夫節の芸というものを示し、次につないでいかねばならない。義務と責任は大きいですね」

咲太夫からは「筆記試験もある」と課題を告げられた。浄瑠璃についての深い知識や故事来歴、口伝などにも詳しくないといけないということ。名実ともに文楽の顔になってほしいという意味であろう。

「師匠は怖かったですよ」

文楽に魅せられたのは子供の頃というから、相当、早熟だ。

東京の下町、深川に生まれ、芝居好きの伯母に連れられて劇場に通ううち、中学時代には1人で歌舞伎や文楽を見に行くようになっていた。中でもはまったのが、文楽の太夫が渾身(こんしん)の力を込めて語る義太夫節。レコードを買いあさり、昔の名人の語りを聞いては感動していたという。

「中学2年のとき、初めて(竹本)越路太夫(こしじたゆう)師匠の語りを生で聞いたんです。『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』でした。正直、最初はちゃんと聞き取れなかった。ところがクライマックスに向かってどんどん盛り上がっていく。すごいと思いました」

縁あって憧れの越路太夫に入門。京都の師の自宅の近くに住み、通いの弟子修業が始まった。

「師匠は怖かったですよ。あまりものをおっしゃらない方で、威厳がおありでした」

日常生活ではよく叱られた。あるとき師匠が飲み終わったと思い込んで梅酒の瓶をごみに出してしまった。「『ばか』の一言でした。そんな失敗は思い出したらキリがありません」と苦笑する。「いろいろ怒られましたけど、師匠の浄瑠璃を聞いていると気持ちが立ち直るんです。それほど素晴らしい語りでした」

師匠の四代目竹本越路太夫(右)と入門して間もない20歳の頃の竹本千歳太夫(本人提供)
師匠の四代目竹本越路太夫(右)と入門して間もない20歳の頃の竹本千歳太夫(本人提供)

30年ほど前だろうか。四六時中、浄瑠璃のことが頭から離れない若い太夫がいると噂になった。千歳太夫のことだった。改めて真偽を確かめてみると-。

「何をしているときもまったく頭から離れないというと、噓になりますけどね」と笑い、「でも、気がついたら浄瑠璃のことを考えているのは本当です」。

電車に乗っていても、風呂に入っていても、散歩をしていても、すべてが浄瑠璃につながる。

テレビでニュース番組を見ていたときのこと。アナウンサーが「コロナの感染者が増えています」と読み、次いで「節分の豆まきが行われました」と伝えた。ニュースの内容が違うときの間の取り方や雰囲気の変え方に「『あ、ここで変えるんだな』とか、つい思っちゃうんです。それは若い頃から変わらないですね」。

もはや業(ごう)のようなもの。心底、浄瑠璃に魅入られた人なのかもしれない。

「それが不幸なことなのか、幸せなことなのか分からない。でも、つらくはないです」。柔和な笑みが一瞬消え、目の奥が光った。「もう地獄に落ちてるかな。義太夫地獄にね」

全身全霊で挑む

一昨年から続く新型コロナウイルス禍。文楽も公演中止が半年近く続いた時期があった。そのとき、こんな苦悩を吐露していたことを覚えている。

「いっそ浄瑠璃がこの世からなくなるか、自分が語れなくなればあきらめもつくのですが、そうじゃない。自分は一応語れるのに状況が許さない。それが一番つらかったし、改めて自分は浄瑠璃がないと生きていけないと思いました」

10年ほど前には肺カルチノイド(肺の腫瘍の一種)で左肺の一部を切除した。

「だからこそ、やれるときに精いっぱいやる。それに尽きるんじゃないでしょうか」

切場語りに昇格して最初の舞台が、4月2日が初日の大阪・国立文楽劇場の文楽公演「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」より「日向嶋(ひゅうがじま)の段」。文楽の世界では、特別な意味合いを持つ曲だ。

平家の猛将、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は源頼朝を暗殺しようとして捕らえられ、日向(現在の宮崎県)に流される。源氏全盛の世を見たくないと自らの両眼をえぐり、盲目となった景清。そこへ娘の糸滝がはるばる訪ねてくる-。

「なぜ自分は生きているのか。死ねないのがつらいという景清の武士としての思いと、身を売った金で自分に会いに来た娘への愛情。そのはざまで葛藤する人間の姿を骨太に表現できれば」

この曲は語り出しが「松門(しょうもん)ひとり閉じて年月を送り…」と能の謡(うたい)がかりで始まり、太夫が床本(ゆかほん)を置くのは白木の見台(けんだい)、舞台で人形の地面にあたる手すりは青竹を用いる。神聖で特別な曲である。

「これほどの曲は、自分の人生で3回勤められれば、もう限界じゃないでしょうか。毎日勤めるとなるとどうしても波が出てくる。良くないときに聞かれたお客さまに失礼になります。今回が2度目ですので、あと1回語れるかなあという感じです」

それだけ1曲に全身全霊で向き合っているということだろう。

この曲は江戸時代、豊竹座の創始者である初代豊竹若太夫の追善に上演された。昭和34年には名人、八代目竹本綱太夫(つなたゆう)と十代目竹澤弥七が、歌舞伎俳優の初代松本白鸚(はくおう、当時八代目松本幸四郎)と初共演に踏み切った舞台としても知られている。

当時、文楽の浄瑠璃に歌舞伎俳優のセリフが入るのはご法度とされていたが、この舞台は大評判となり、慣例に風穴を開けた。近年「日向嶋の段」は、八代目綱太夫の系統や子息の咲太夫らが勤めている。それだけに千歳太夫が令和元年、東京公演で初めて語ることになった際「私で本当にいいのでしょうか」と咲太夫にお伺いをたてたほどだった。

「その伝説的な曲を、この機会にまた勤めさせていただける。生涯に何度もできるような曲ではありません」

捉えられないからこそ

1999年秋の文楽ドイツ公演の際、ベルリンのシラー劇場の楽屋で。右から竹本千歳太夫、野澤勝平、竹澤宗助、豊澤富助(提供・竹本千歳太夫)
1999年秋の文楽ドイツ公演の際、ベルリンのシラー劇場の楽屋で。右から竹本千歳太夫、野澤勝平、竹澤宗助、豊澤富助(提供・竹本千歳太夫)

平成28年には古代日本の乙巳(いっし)の変を題材にした「妹背山婦女庭訓・妹山背山(いもせやまおんなていきん・いもやませやま)の段」を初めて勤めた。通常の公演形態とは異なり、本舞台を挟んで上手(かみて)側の床に大判事を語る千歳太夫ら、下手(しもて)側の床に後室定家(こうしつさだか)を語る豊竹呂勢太夫(ろせたゆう)らが座り、掛け合いで語る。当時2人はまだ50代。それまでは時代を代表する名人が語ってきた段だった。

そのときの火を噴くような語りの応酬は、文楽に新時代の光が差し込んだように思えたものだが、「自分自身は何をやっているか、よくわからなかった」と振り返る。

「どんなときもそうですが、この曲を勤めたとき、(芸の上で)一段上がれたというような明確なことはないですね。よく野球の打者が『球が見えた』といいますが、そういう感覚は私にはない。毎日何かを捉えようとするけれど、捉えられない。だからこそ、一生追いかけ続けるのかもしれません」

ふと遠い目をして、こんな話をしてくれた。

「江戸落語の名人、八代目桂文楽師匠は、古典落語『心眼(しんがん)』を演じる際の口上で、噺(はなし)の由来を語った後、『ただ私はそのお取りつぎをするだけでございます』と言うんですね。私の感覚もそうなんです。浄瑠璃のお取りつぎをさせていただくだけ。最近、とみにそう思います」

自分が先達から受け継いだものを次代にしっかり引き渡す。それが伝統芸能の宿命であり、60代の今、文楽全体の未来を見据えての言葉だろう。

趣味はオペラを聞くことで、お気に入りはワーグナー。そういえば、歴史や神話を題材に人間の運命を壮大に描く世界観は、浄瑠璃に通じるものがある。

「最近も、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を見てきましたよ」。くしゃっと童顔をほころばせた。

竹本千歳太夫=大阪市中央区の国立文楽劇場前(柿平博文撮影)
竹本千歳太夫=大阪市中央区の国立文楽劇場前(柿平博文撮影)

たけもと・ちとせだゆう 昭和34年5月13日、東京生まれ。53年、人間国宝、四代目竹本越路太夫に入門。翌年、竹本千歳太夫を名乗って大阪・朝日座で初舞台。平成17年、人間国宝、八代目豊竹嶋太夫門下となる。時代物から世話物まで幅広く勤め、文楽や素浄瑠璃の海外公演にも数多く参加している。11年度の芸術選奨文部大臣新人賞、28年度の大阪文化祭賞優秀賞、令和2年度の国立劇場文楽大賞など受賞多数。弟子に竹本碩太夫(ひろたゆう)。4月、物語のクライマックスを語ることが許される「切場語り」に昇格する。

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