台湾総督府は、日本の統治が始まった翌年の明治29(1896)年、「国語学校」を創設する。台湾人に日本語を教えること、その教員を養成することが目的であった。国語学校は後に師範学校に名称が変わり、多くの教員を輩出した。
同校は現在、台湾の「国立台北教育大学」となっており、ホームページ(HP)には国語学校時代からの歴代校長の写真と名前が掲載されている。
初代国語学校校長の町田則文(在任1896~1900年)、国語学校最後の校長で、台湾人初の中学校(旧制)創設にかかわった隈本繁吉(同1911~19年)の名もあった。