なら国際映画祭の若手映画監督支援プロジェクト「ナラティブ」の新作映画『霧の淵』(仮題)の出演者オーディション(2021年10月)には、ナラティブ部門のアソシエイトプロデューサー、吉岡フローレス亜衣子が立ち会っていた。柔らかいロングヘアが印象的な女性だ。22年3月下旬から予定している撮影の日程調整などに奔走し、前作『再会の奈良』(ポンフェイ監督)の全国順次公開(2月4日から)の宣材のチェックなどに追われていた。
テキサスから来たアイコ
吉岡は奈良県大和郡山市出身の1979年生まれ。テキサス州オースティンで米国人の夫と2人で暮らしている。20代で渡米し、コミュニティーカレッジで勉強したあと同州立大学で人類学を学んで卒業した。在学中、友人を通じて夫と出合った。
2人は結婚を約束したものの、吉岡は滞在ビザが切れて14年に実家に戻った。婚約者ビザの取得に1年半ほどかかると分かり、途方に暮れていたとき、なら国際映画祭のチラシを見てボランティア募集を知った。
英語力を生かして第3回映画祭(14年)では翻訳と通訳のボランティアを務めた。飾らない人柄と機転の良さで「アイコ」の名前が知られるように。翌15年、ナラティブ映画「東の狼」が東吉野村で撮影されるとき「アイコ。現地に来て」と誘われ、「右も左も分からない状態」でキューバ人監督の通訳を務めた。
吉岡は16年に結婚。米国在住のまま有償で映画祭の翻訳業務を続けた。そして『再会の奈良』(20年の映画祭で上映)から、ナラティブ部門のアソシエイトプロデューサーに就任した。現在の仕事はナラティブ50%、国際コンペティション30%、映画祭の庶務20%という。「常にナラティブの次の監督のことを考えている」と語った。
世界に売り込む
映画制作にはお金が必要である。先述の『再会の奈良』の制作費は「1億円程度」(映画祭関係者)。今回の新作は「この3割以下」だそうだ。このうち奈良県と撮影地・川上村から各500万円の補助金を得た。さらにスポンサー企業を求め資金調達を図る。
19年春には『再会の奈良』のため香港に出向いている。香港国際映画祭と同時に開催される香港アジア・フィルム・ファイナンス・フォーラム(HAF)に監督のポンフェイらと参加し、投資家や配給会社関係者たちと面談を重ねた。資金調達から関わったのは『再会の奈良』が初めて。だからこそ同作品は思い出の1作である。
今回の新作では、コロナ禍のために監督の村瀬大智らとリモートで日本からHAFに参加。3日間の会合で1日10人程度と会った。吉岡は「映画はできるだけクオリティの高い映画祭に出品することが大事。資金調達だけでなく、世界規模で作品に興味を持ってもらうための機会である」と話した。
映画づくりのやりがい
吉岡は4人きょうだいの末っ子だ。大和郡山市の実家は「紋郎美術工房」を経営している。同社ホームページ(HP)には、立体造形の制作を行う「モノ作りのプロフェッショナル集団」と紹介されている。
同社が手がける分野は幅広い。HPや吉岡の話によると、美術家の草間彌生のオブジェ、東京大学安田講堂の天井改修工事、東京・神田錦町の博報堂旧本社修復、大阪・梅田の商業施設「HEPファイブ」に設けられた大きな赤いクジラ(石井竜也作)などをつくってきた。吉岡は幼いころから造形製品に囲まれて育った。
映画が大好きで、河瀨直美がカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した『萌の朱雀』(2007年公開)は、姉の知人が出演していたこともあって映画館で見た。「こんな作品を日本人の監督が撮るんだと衝撃を受けた」という。
ナラティブ部門に関わるのは、東吉野村で撮影された『東の狼』、天理市を舞台にした『二階堂物語』、御所市で撮った『再会の奈良』を経て、川上村の今回の新作『霧の淵』(仮題)で4作目になる。
ナラティブの魅力について吉岡は「大変な共同作業で、毎回悔しい思いをする。あれをやっておけば良かったと反省する。それがあるから、またやっちゃう」と苦笑しながら筆者に語った。
そして別の日のインタビューの際には、一番の魅力について「映画に関わる独特な環境のもとでの濃密な人間関係」と漏らした。例えば『再会の奈良』の現場でのこと。張り詰めた日が続く撮影期間の半ばで美術助手の女性が体調を崩したことがあった。2人で御所市内の病院に出向き、待合室で待っているとき、助手が言った。「こんな一番しんどい時に迷惑をかけて申し訳ない」。吉岡はこらえきれずに大泣きした。「一緒に仕事をすることに幸せを感じた」と振り返った。
映画づくりの資金調達
なら国際映画祭の若手支援プログラム「ナラティブ」の映画づくりの費用はどのぐらいなのか。どのように調達してきたのだろうか。
まずは行政からの補助金である。これまで例外はあるものの、原則的には奈良県から500万円、ロケ地に選ばれた自治体から500万円の補助金を受ける。さらに、これら以外の団体や企業などからも資金を集める。当初は国内資金のみだったが、次第に海外から資金を調達することが増えてきた。
NPO法人なら国際映画祭の前理事長、中野聖子(現相談役、ホテル尾花社長)によると、制作費に関しては第1回(2010年)の『びおん』と『光男の栗』が各600万円。第2回(12年)の『祈』は800万円だった。
第3回(14年)の『ひと夏のファンタジア』は2100万円で、うち1100万円は韓国で出資を獲得した。第4回(16年)の『東の狼』は2300万円で、うち700万円をスイス・英国で、第5回(18年)の『二階堂家物語』は7000万円のうち2500万円を香港で調達した。
第6回(20年)の『再会の奈良』の総制作費は「1億円程度」で、中国の企業からまとまった出資金を得たという。同作品のエグゼクティブプロデューサーは、河瀨直美(東京五輪公式映画監督)とベネチア国際映画祭・金獅子賞受賞、カンヌ国際映画祭・脚本賞受賞などで世界的によく知られる中国人監督ジャ・ジャンクーが務めた。著名監督2人の名前があることが、資金調達の大きな要因となったという。
先に紹介した香港アジア・フィルム・ファイナンス・フォーラム(HAF)については、16年の『東の狼』(藤竜也主演)以降、なら国際映画祭関係者が出向くようになった。
映画は芸術であるとともにビジネスでもある。両面を備えているところが魅力だ。なら国際映画祭の資金調達はアートマネジメントを考えるうえで絶好の題材なのである。
=敬称略
(静岡文化芸術大学教授 松本茂章 写真も)
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まつもと・しげあき 専門は文化政策研究、文化を生かしたまちづくり政策。日本アートマネジメント学会会長、文化と地域デザイン研究所代表。著書に『官民協働の文化政策 人材・資金・場』、編著に『文化で地域をデザインする 社会の課題と文化をつなぐ現場から』など