いつも応援してくれた亡き母に胸を張って「報告」ができる-。スピードスケート男子500メートルで銅メダルを獲得した森重は「レースとしては満足している。(残る)1000メートルでも全力を出し切りたい」。表情には納得の笑みが広がった。
「スケートを頑張って…」。19年7月に亡くなった母、俊恵さんの最後の言葉だ。その言葉を聞いたのは亡くなる4日前、森重の誕生日にかかってきた病床からの電話でだった。
「スケートに懸ける思いがそこで大きくなった。成長できた要因の一つだと思っている」。それまで以上に競技に打ち込むようになると成績もついてきた。昨年10月の全日本距離別選手権で初優勝すると、その約2カ月後のワールドカップ(W杯)でも初優勝。「五輪に出ても、日本勢にも海外勢にも負けないという気持ちを持って臨んでいきたい」。自信が芽生え、覚悟も定まった。
実家は大自然に囲まれた北海道別海町で酪農を営む。近くにスケート場があり「朝から晩まで滑っている保育園児がいる」。こう噂されたのが森重少年だった。実家の手伝いをしてはスケートで遊ぶ日々。そんな少年が本格的に競技を始めたのは小学2年のとき。しかし、基礎ばかりの練習に嫌気がさし、1カ月ほどすると「やめたい」と言いだした。そんな少年を諭してくれたのが俊恵さんだった。
「やると言ったからにはやりなさい。もう1年やって、本当にいやになったらやめればいいから」。以来、よく試合会場まで足を運んでは応援してくれた。12年に乳がんが発覚し、入院中も「航のスケートが見たい」と話していたという。
母の言葉に背中を押され、急成長を遂げてつかんだ初の五輪切符。フライングの後の2回目のスタートでも動じず、果敢に攻めてつかんだ表彰台に「プレッシャーのかかるスタートになったが、それでもやりたいことはできた」。まだ21歳。さらなる高みを目指しての挑戦は続く。天国の母にも新たな目標を誓うはずだ。(橋本謙太郎)