協議会では、各市町村が作成したフライヤー(チラシ)を集める「フライヤーラリー」を15日から開始。全種集めると比企氏にまつわるミニガイドブックとなるほか、先着300人に特製クリアファイルをプレゼントする。
敗者ゆえに
とはいえ、比企氏は建仁3(1203)年、北条時政により、一族が滅亡。実際のところ「地元でも知らない人が多い」(協議会事務局)のが実情だ。歴史は往々にして勝者の視点で語られたものが史料として残っており、比企氏に関するものは、口頭伝承を中心とした〝見えない史料〟が中心となっている。
協議会では比企氏などの関連史跡のアクセスマップなどを作成した。名所旧跡のほか、比企氏の知名度を浸透させ、どうPRしていくのか。成否は関連自治体の手腕にかかっている。
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【比企能員】(生年不詳~1203年)鎌倉幕府の御家人。養母の比企尼が鎌倉幕府初代将軍源頼朝の乳母(めのと)で、娘の若狭局は2代将軍源頼家の妻。外戚として権勢を握ったが、北条氏追討を計画してこれに失敗し、一族とともに滅ぼされた。
【畠山重忠】(1164~1205年)武蔵国秩父の武将。源平合戦で平家に急襲をかける「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」では愛馬を背負って谷を下りたという逸話が残る。北条義時と戦って敗死した。
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【記者の独り言】 大河ドラマの盛り上がりは、昨年12月に深谷市を訪れた際、「ドラマ最終盤なのに、平日にこんなにたくさんの人が」と目の当たりにして実感させられた。観光PRにはもってこいの題材だが、コロナ禍で観光客誘致が難しい時期は続く。加えて今年の比企能員や畠山重忠はメジャーとは言い切れない。教科書に載っているものの記述自体は大したものでもない。だが、これを契機に知りたくなったのも事実。折に触れて比企地域や深谷市の史跡を訪ねてみたい。(兼松康)