いきもの語り

都内唯一の養蚕農家 手塩にかけ桑都の歴史紡ぐ

「八王子長田養蚕」代表の長田誠一さん(左)と妻の晶さん=八王子市(竹之内秀介撮影)
「八王子長田養蚕」代表の長田誠一さん(左)と妻の晶さん=八王子市(竹之内秀介撮影)

空は晴れているというのに、しとしとと降る小雨のような音が聞こえてきた。近付くと、頭を上下に振りながら、葉っぱに勢いよくかじりつく白い幼虫が視界に入る。古人が「蚕時雨(こしぐれ)」とみやびに呼んだこの音は、桑の葉を食べる蚕の咀嚼(そしゃく)音だった。

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「今や養蚕農家は絶滅したと思われている。そんな中でも続けているのは、ある種の意地かな」

八王子市の養蚕農家「八王子長田(おさだ)養蚕」代表の長田誠一さん(51)は、笑いながらこう話す。養蚕歴30年以上のベテランだ。

誠一さんは妻の晶(あきら)さん(50)とともに毎年、春に約4万5千、秋に約3万の蚕を飼育している。人の手で家畜として生み出された蚕は、自分で餌を探す力を失っており、自然界では生きられない。このため、卵がかえってから繭を作るまでの1カ月と1週間は、「人間の赤ん坊の面倒を見るように気を使わなければいけない」(誠一さん)。

例えば、餌となる桑の葉が大きすぎると下敷きになって動けなくなるため、生後14日ほどは柔らかい部分の葉を小さく切って与える▽桑の葉の鮮度が繭の質に直結するため、新鮮なものに限る▽気温が20度を下回ると食欲が落ちるため、飼育期間の一部は暖房をつける―といった具合だ。

こうして手塩にかけた蚕は生後1カ月ほどで繭を作り始める。完成した繭は製糸工場に出荷したり、地元の道の駅で販売したりして収入となる。

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長田家12代目に当たる誠一さん。高校卒業後は遊園地に就職するはずだったが、父の泰一(やすかず)さんが卒業式の直前に急死したことで運命が一転。急遽(きゅうきょ)、家業の養蚕を引き継いだ。

当初はなかなか養蚕に関心を持てず、蚕が「膿病」という病気を発症した際、対応が遅れて全滅させてしまった苦い思い出もある。だが、晶さんとの結婚を機に関わり方が変わった。「この土地で先祖代々、営んできた養蚕を本気でやりたい」。そんな思いを抱くようになり、蚕と真剣に向き合い始めた。

本業の合間には、依頼があれば小学校などで蚕の飼育や糸繰りの講師を請け負っている。引き受ける際の条件は1つだけ。子供が飼育をおろそかにしたら真剣に叱らせてもらう―ということだ。

誠一さんは「たとえ子供であっても、命を預かる以上、蚕の親として毎日餌をあげ、繭を作りやすい環境を整えてあげないといけない。命の大切さを学んでほしい」と願いを込める。

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かつては「桑都(そうと)」と呼ばれるほど養蚕業や絹産業が盛んだった八王子市だが、今ではその面影を探すのは難しい。生糸価格の低迷や後継者不足で養蚕農家の廃業が全国的に相次いでおり、市内はおろか都内でも、長田養蚕が最後の養蚕農家となったとみられる。

蚕の飼育中は2時間おきに餌を与え続けなければならない日があるなど、決して楽な仕事ではない。それでも誠一さんは「生きている間は続けるつもり。桑都の歴史を途絶えさせないために、地元の人間としてできることをやっていく」と力を込めた。(竹之内秀介)

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