幼少の原風景を重ねながら、北京の空を舞った。11日のスノーボード男子ハーフパイプ決勝、平野歩夢(あゆむ)(23)が完成度の高い試技を見せ、スノーボードの日本勢初の金メダルを獲得した。父と地域の尽力で建てられた故郷・新潟の練習場から歩み始め、世界の頂点に上り詰めた。
新潟県北部に位置する村上市。日本海の荒波を望む県道沿いの敷地に、「日本海スケートパーク」はあった。老朽化のため、現在は閉鎖となった平野の原点。開設に尽力したのは父、英功(ひでのり)さん(50)だった。
もともとサーフィンが好きで、トレーニングの一環としてスケートボードを取り入れようと考えていた英功さん。地域の若者らからも「スケートボードの練習場所がほしい」と要望があり、市側にかけあった。
地域活性化に向け、若者らを呼び込む策を探していた市側とビジョンが一致し、ほどなく旧市民会館の利用が許可された。英功さんは地域の有志らから約1000万円の借金をして館内を改修、平成14年に念願のパークが完成した。平野が3歳ごろのことだ。
一足早くスノーボードに親しんでいた平野にとって、通年使える屋内施設は利点が大きかった。スケートボードはボードに足が固定されない分、バランス感覚や体幹の強さがより養われる。これが雪山に出たとき、高い空中技(エア)につながった。
「皆さまが、環境作りという力を貸してくださったおかげで今がある。(北京五輪では)感動を届けられたらいい」。今月1日、村上市内で開催された平野の壮行会で、英功さんは地元への感謝を口にした。
この日、2位で迎えた最終3回目で、平野は高難度のエアをこともなげにつなげた。金メダルを決めた後も冷静さを失わなかった平野だが、今大会を最後に引退を明言している米国のショーン・ホワイト(35)に抱きしめられると、ようやく表情を崩した。五輪を3度制した、あこがれのレジェンドの祝福。新たな歴史が刻まれた瞬間だった。
平野の後援会理事長を務める同市の佐藤巧さん(68)は、「地域で支え続け、ついに世界の頂点にたどり着いた。村上市ももっと元気になる。感無量だ」と快挙をたたえた。
夢に向かって歩んでほしい-。英功さんが名前に込めた思いの通り、大願を成就させた平野。「家族や身近にいる人、応援してくれる人たちがあっての自分だと思う。自分の納得いく滑りがみんなに少しでも届いたんじゃないかな」。普段はポーカーフェースの新王者の目尻が、また下がった。(永井大輔)