持ち前のポジティブ思考で銀メダルを引き寄せたフィギュアスケート男子の鍵山優真(18)。2度の五輪出場経験がある父でコーチの正和さん(50)とともに求めてきた最高の舞台で、親子の挑戦が結実した。
3歳ごろ、正和さんがインストラクターを務めていた富山市内のスケートセンターが、スケートとの出合いの場だった。「転んでも笑っていて、皆からかわいがられるマスコット的な存在でした」。センターの支配人、上田朝子さんは当時を振り返る。
現役時代の正和さんは、膝の柔らかさを生かした着氷に定評があり、当時、世界的にも珍しかった4回転ジャンプに挑戦した選手だった。上田さんは幼少時の鍵山を「あのころはまだ半回転だったけど、着地が柔らかくて、血筋をしっかり受け継いでいると感じた」と振り返る。ほどなく正和さんが専属コーチとなり、親子の歩みが始まった。
父は、指導者であり、ライバルでもあった。
ユースオリンピックを制するなどすでに世界を舞台に戦っていた鍵山が出場にこだわったのが、昨年の全国高校総体(インターハイ)だった。在籍する星槎(せいさ)国際高横浜(横浜市)のスケート部監督、松下清喜さん(62)によると、モチベーションはただ1つ。「お父さんが取っているタイトルだから絶対に出たい」。強い決意で優勝を果たした。
「五輪の魔物」にも、打ち勝った。
「自分の短所は考えないようにしています」。中学3年時、高校への推薦のために受けた校長との面談で「あなたの短所はどこですか」と問われ、そう言い切った鍵山。無論、弱点の克服には努めてきたが、思いつめることは避け、常に前向きさを頭に置いた。
この日は、「(北京入り後)初めて緊張した」という。しかし、演技では自分を見失わず、ショートプログラム(SP)との合計で自己ベストをたたきだした。五輪は12位が最高だった父の成績を超えることで〝親孝行〟も果たした。
「一緒に喜びを分かち合えた」。表彰式後、鍵山は日の丸を背中に掲げ、正和さんに寄り添った。二人三脚の物語に、また1つ、大きな勲章が加わった。
(本江希望)
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男子フリー 演技する鍵山優真=10日、首都体育館(彦野公太朗撮影)