記者発

昔の非常識、今は常識 社会部・森本充

学生だった二十数年前、車の自動運転に向けた新たな動きが出てきたというニュースで、コメンテーターが否定的な意見を言っていたのを、ふと思い出した。ハンドルを握る者は、車を操るという魅力には勝てないはずで、「自動運転が受け入れられる時代なんて来るはずはない」と息巻いていた。

当時、免許取り立てで運転が楽しく、「なるほど」と納得したが、ふたを開けてみると、完全自動運転も目前に迫る状況になっている。その背景には、超高齢化社会の到来や、相次ぐ悲惨な交通事故といった社会情勢の変化もあっただろう。「時代の流れだ」と片づけてしまったらそれまでだが、やみくもに現状を常識だと判断していた側面も否めないように思う。

電車内の防犯カメラ設置についても、そうだ。ほんの十数年ほど前、痴漢といった下劣な犯行の歯止めに、設置を求める声も出た。車内という公の場で、見られて困るようなことをするはずもなく、痴漢の冤罪(えんざい)防止にも一役買うはずだが、「監視されているようだ」と抵抗感を示す人も少なくなく、なかなか普及しなかった。防犯カメラの有用性というものが、まだ世間に受け入れられていなかった。

だが、今は設置していないことがあたかも「悪」であるかのように、義務化の動きまで出ている。相次ぐ無差別刺傷事件で、人々の不安が増大しているためで、設置に異を唱えるほうが非常識になった。街中へ普及したように近い将来、電車内の設置も常識となり、防犯カメラに捉えられることなく移動することは、より不可能になるだろう。ただ、その防犯カメラも万能ではなく、事件の抑止につながっても完全に防げるものではない。

そこで考えられるのが、映像の活用だ。具体的に何かの動きがあるわけではなく、技術的に課題もあるだろうが、車内の防犯カメラが、不審人物や指名手配犯らを捉えた場合に、捜査当局に知らせるシステムの構築も考えられる。そうなれば、もちろん反発も予想される。ただ《昔の非常識は、今の常識》。誰もが巻き込まれる恐れのある無差別刺傷事件から自分や家族を守るには、どうすればいいか。先を見据え、真剣に考える時期に来ていると思う。

【プロフィル】森本充

平成13年入社。警視庁や遊軍、国交省を担当し事件事故などを取材。大阪社会部と東京社会部の遊軍長を経て令和2年2月から警視庁キャップ。

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