世界が認めた高さのあるエア(空中技)が、北京の夜空にくっきりと浮かび上がった。フリースタイルスキー男子モーグルの堀島行真(いくま)(24)が16位に終わった3日の予選1回目から見事に巻き返し、悲願のメダルを獲得。重圧に屈した2018年平昌(ピョンチャン)五輪の雪辱を果たした。
「練習オタク」。スキーの強豪、岐阜第一高のスキー部で指導した大場順二コーチは、堀島をこう評した。雪上の練習だけでなく、ウエートトレーニングや自転車、トランポリンを使ったハードな練習にも汗を流した。「強くなるために必要なことを着々とやっていた」。大場コーチは記憶をたどる。
フリースタイルスキーのワールドカップ(W杯)に初参戦したのは高1のとき。周囲は早熟の天才と注目したが、素顔はごく普通の高校生だった。「声が小さくて控えめでシャイ。ほかの先生たちは『本当にW杯に出ているの?』と思っていた」(大場コーチ)
順調に実力をつけ、20歳で迎えた平昌五輪はメダル候補と評される存在に。だが、得意のエアで転倒、想定外の11位に終わった。大場コーチは「真面目な性格ゆえに周囲の期待を意識しすぎて、プレッシャーになったのでは」と思いやる。
しかし、この大舞台での挫折が、「練習オタク」を燃え上がらせた。平昌五輪後はエアだけでなく、配点の6割を占めるターンの技術向上にも注力した。フィギュアスケートや飛びこみなどの他競技にも果敢に挑戦し、重心移動やエッジに乗る感覚を磨いた。
昨年末から始まったW杯では3勝を挙げ、全9戦で表彰台に立った。基礎スキーの準指導員資格を持つ父の行訓(ゆきのり)さんは、躍進の裏側に精神面の成長があると指摘する。「以前は常に全力を出そうとしていたが、今は8割ぐらいの力で余裕を持って滑っている」
表彰式では拳を突き上げた堀島。直後のインタビューでは「最低限、表彰台というところを掲げてやってきて、期待のかかる中で、なんとかそこを獲ることができたのはよかった」。平昌五輪から4年。心身ともにたくましさを増した24歳のエースが満面の笑みを浮かべた。(小川原咲)
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「男子モーグル 決勝3回目」 銅メダルを決め日の丸を掲げる堀島行真=5日、雲頂スキー公園(彦野公太朗撮影)