友好ではなく隷属では…石原慎太郎は何を批判したか

石原慎太郎氏(共同)
石原慎太郎氏(共同)

1日に89歳で亡くなった石原慎太郎氏は、長年にわたり本紙の1面で大型コラム「日本よ」を執筆していた。戦後の占領下、米国から押しつけられて制定した憲法をいまだに改正できないと嘆き、日本人を叱っているようでもあった石原氏の国家論は、多くの日本人の心に響いた。

「日本よ」が始まったのは、石原氏が東京都知事となった平成11年。第1回の11月8日には早速、対米追従の外交姿勢を批判し、「日本という国は第二次世界大戦後このかた国家としての自己主張なるものをしたことがない」「相手へのただただの迎合は、友好などではなしに隷属としかいいようない」などと書いてみせた。

月1回ペースで掲載されたそのコラムは広く注目を集め、論壇にも多大な影響を与えた。本紙1面コラムは、作家の司馬遼太郎の「風塵抄」、評論家の江藤淳の「月に一度」と、現代史に残る〝大物〟が執筆してきたが、石原氏の「日本よ」の存在感も引けを取らなかった。「日本よ」を楽しみに本紙を定期購読する読者も少なくなく、執筆は都知事辞任後も続いた。

石原氏が「日本よ」で訴えていたのは単なる反米感情ではなく、米国から軍事外交、経済はもちろん、精神的にも独立できない日本人の問題だった。近年には執筆もなくなったが、平成29年5月3日の憲法記念日には「日本よ 特別版」を寄稿。憲法が占領軍の英語の翻訳調であることに触れながら、「はたしてわれわれは今の憲法を墨守しそれを与えたかつての支配者にすべてを委ねることで国家民族の主体性を保持できるのだろうか」と、改めて現代日本を批判的に論じた。

石原氏の「日本よ」は、いまも本当の意味で独立できない日本に対する警鐘であり続けた。(菅原慎太郎)

作家の石原慎太郎氏が死去 元東京都知事、元運輸相

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