文芸時評

2月号 時代の無意識は見える 早稲田大学教授・石原千秋

早稲田大学教授の石原千秋さん
早稲田大学教授の石原千秋さん

パラダイムシフトの時代に入っていると多くの人が感じているだろう。少し前に読んだ小山慶太『高校世界史でわかる科学史の核心』(NHK出版新書)。アインシュタインが相対性理論を提唱できたのは、彼の生きたのがニュートン力学が万能だった古典物理学の縛りが弱まった時代だったからではないかというのだ。パラダイムシフトが始まった時代だった。その後、何人もの若手が物理学に革命を起こす。いままさに、そういう時代に入ったのだ。他人のパソコンの機能を暗号資産(仮想通貨)の「マイニング(採掘)」に無断利用するプログラムを自身が運営するサイトに設置したウェブデザイナーに対して、最高裁第1小法廷が無罪判決を下した。世の中は確実にパラダイムシフトを受け入れている。文学の世界にも革命を起こす若手が出るだろうか。

芥川賞が砂川文次「ブラックボックス」に決まった。自転車で届け物をするメッセンジャーを仕事とする若者が主人公。身体と意識とがうまくつながっておらず、時に意識が置き去りにされて身体が暴発する。これは現代の無意識を書いて、時代をよく捉えている。村田沙耶香「平凡な殺意」(新潮)では、厳しく接する編集者に殺意を抱いたという。それは小さいときの自殺衝動が他殺衝動に変異したのだと考えている。「たくさんの平凡な殺意が、この世界に、本当は隠されているのではないかと、私は思っています」と。少なくとも、僕にとってはたしかに「平凡」な感覚だと思う。この「平凡」とは無意識の別名だとも思うからだ。ただ、村田沙耶香は自分のそうした衝動を語る意識を持っているから幸いだ。

東畑開人と千葉雅也の対談「心と無意識のゆくえ」(文学界)。千葉は「無意識を語る意味」という節で、「でも最近は、物語的な納得によって乗り越えていくということに対して、『そもそも嫌なことを納得すべきでないのだ』という抵抗が強くなってきている気がします」「でも、セラピー的視点からは『すぐ水に流したらいけないかもしれないけれど、あなた、この後ずっとそのことを考えていくわけにいかないでしょう? 吞(の)み込んでいく部分は必要でしょう』となるはずです」と述べている。「文学でしか語れないもの」の節では、これを受けて文学について語っている。「文学でしか語れないものの一つの答えは具体性ですよね」「そもそも心、無意識というものを抱えることによって、人間は初めて具体的な存在、あるいは具体的な他者を愛することができる」と述べている。文学は時代の無意識を書いてきたが、それは具体的なものとして現れる。なぜなら、具体的なものには言葉にできないことがたくさん詰まっているからだ。つまり、無意識は見える。見えるのに言葉にしない、あるいは言葉にできないものが無意識なのだ。無意識は抑圧されたものということだ。

水上文「『娘』の時代 『成熟と喪失』その後」(文芸)は、「母娘関係」を語った言説の歴史のあとに、こういう一節がくる。「端的に言って、母と娘がともに『女』であることは、本来的に様々に異なる人間のあらゆる同一性を意味するものではない。にもかかわらずそれが見落とされているのだとしたら、結局のところ斎藤(斎藤環=石原注記)の語る母と娘の『同一性』は、『女』と名指された存在の個別具体性を、『女』たちの間の差異を消去する働きしか持っていないように、私には思える」と。母と娘がこう論じられてきたことはたしかだ。ただつけ加えておく。最近、「男」と一括(ひとくく)りにする言説が溢(あふ)れかえっていることを。宇佐見りん「くるまの娘」(同)は娘と父の話。「隣に、ここまで生きていた父がいる。生きているということは、死ななかった結果でしかない」。父という具体的な存在にまつわる無意識を書いている。宇佐見りんの方が上手だ。

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