話の肖像画

真矢ミキ(27)「五輪」大舞台、ここでも生きた「宝塚」

東京五輪の開会式にりりしい棟梁の姿で登場(左奥)=令和3年7月23日、国立競技場
東京五輪の開会式にりりしい棟梁の姿で登場(左奥)=令和3年7月23日、国立競技場

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《芸能生活40周年だった昨年、大きな仕事が続いた。7月23日の東京五輪開会式、真矢さんはりりしい棟梁(とうりょう)の姿で登場。江戸の木やりの場面を担った》


開会式当日、オンエアまで極秘で準備を進めなくてはならず、家族にも言えずの日々でした。ですから開会式の準備で出かけるとき、夫(バレエダンサーの西島数博さん)から「どこ行くの?」って聞かれても、まともに答えられなくて、挙動不審に映っていたと思います。開会式当日も西島さん、一緒に五輪を見る気でいたのに、「どこかで見ているから…」というおかしな返事をして家を出ざるを得ませんでした。

開会式出演のお話をいただいたのは、本番の数カ月前。コロナ禍で「本当に東京五輪、やるの?」っていう空気の中、「私に何ができるのか」と迷う気持ちも渦巻きましたが、役者として一つの与えられた役に没頭しようと、お受けしました。


《五輪開会式は、演出チームの解散や辞任が相次ぎ、直前まで波乱続きだった》


コロナ対応で声出しもできず、難しい条件の中で構成されたプログラムだったと思います。賛否はありましたが、最善の力を皆さんと尽くしました。

生中継で世界発信、と聞くだけでも身震いするような現場ですが実際、無観客だから実感が湧かないんです。裏で制作側は大人数が走り回っているのに、7万人収容の国立競技場のグラウンドに立つと、誰もいない。すごく不思議な空間に、天皇陛下をはじめ限られたVIPの方のみがご臨席され、広い静寂の中、空前絶後としか言いようのない緊張感を味わいました。

ただありがたかったのは、私は宝塚で2500人以上のお客さまの前に立ち続けていたので、五輪といえども出てしまえば肝が据わり、浮足立つことなく、自分でも不思議なくらい集中することができました。


《極秘に進められた稽古。真矢さんも開会式の全体像が分かったのは、本番前日のリハーサルだった》


リハも限られた人数だけで進められたので、私は自分の出番の前後、誰が出られるのか、プログラムの構成も分からなかった。私は宝塚のショーに出ていたとき、自分がどの場面を担うかで、出方や表現方法も変えていましたから、そこはとても難しかったですね。

また演出や出演者の変更が相次ぎ、実は開会式当日、ぶっつけ本番状態でした。本番では、小雨が降ったり、私の顔に巨大なカナブンが体当たりしてくるハプニングもありましたが、宝塚のときから私には「本番までにいろいろなことがあればあるほど、いい結果につながる」という体験がいくつもあったので、〝ハプニング、上等〟の精神で頭を切り替えました。

法被を着て階段上にバンッと立ったとき、「あれ? スポットライト来ないんだ」と思ったのは、大舞台に立ち過ぎた病ですね(笑)。同時に心地よいな、と思えた瞬間、「宝塚のおかげだ」と心底、思いました。

開会式で、私は大きなものを与えていただいたと思います。光栄でした。大舞台に立つまでの葛藤や恐怖心など、短い時間で「あの険しい山を乗り越えた」という経験を、私は今後も、演じる上でちりばめていきたいです。


《開会式の平均世帯視聴率は、関東地区で56・4%。夏季五輪としてはNHKが放送した前回昭和39年の東京大会の61・2%に次ぐ高視聴率だった》


いろいろご意見はありましたが、五輪でアスリートの方々が見せた力、また開会式と閉会式に携わった皆さんの熱意をこの目で見られたことは、生涯の財産となりました。開会式出演は名誉なことと感謝しています。(聞き手 飯塚友子)

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