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信仰の地に眠る魂に思いをはせる 天草諸島㊤

天草上島の高舞登山展望台から望む上天草市の島々。宇土半島から天草上島まで天草五橋で結ばれている
天草上島の高舞登山展望台から望む上天草市の島々。宇土半島から天草上島まで天草五橋で結ばれている

日本史上、最大規模の一揆といわれる島原・天草一揆は、熊本県南西部に位置する天草諸島と長崎県の島原半島が舞台だ。天草諸島は大小120余りの島々で構成され、上天草市、天草市、苓北(れいほく)町の2市1町に区分される(鹿児島県長島町の島々を含む場合もある)。有明海や八代海などに囲まれ、凪(なぎ)の海に島々が浮かぶ美しい景観は、多島美で知られる瀬戸内海と似た印象を受ける。

熊本県宇土半島の先端から天草五橋の一つである天門橋を渡ると、天草諸島の玄関口となる大矢野島(上天草市)に至る。一揆の先頭にたった天草四郎の生誕地と伝わる島だ。

戦国時代、キリスト教を通じて鉄砲などの西洋文化を取り込みたかった戦国大名の中から、洗礼を受けてキリシタン大名となる者たちが現れた。「天草五人衆」と呼ばれる領主たちが統治していた天草の島々でも、永禄9(1566)年に五人衆の一人である志岐氏がイエズス会のポルトガル人修道士ルイス・デ・アルメイダを招いたことで、キリスト教が伝来。五人衆の相次ぐ改宗もあって、島々にキリシタンが増えていった。

宣教師を乗せた南蛮船は西洋などの文物をもたらし、南蛮文化として花開く。また、セミナリヨ(神学校)やコレジヨ(大神学校)も開かれた。天草に日本で初めて入ったというイチジクは今でも南蛮柿と呼ばれている。

天正15(1587)年、神社仏閣を破壊するキリスト教徒に不信感を抱いた豊臣秀吉は、宣教師を追放する「伴天連(ばてれん)追放令」を発出した。その後、江戸幕府も禁教政策をとり、天草でもキリシタンの弾圧と迫害が強まった。さらに、領主だった寺沢広高の過酷な年貢の取り立てと大飢饉(ききん)が重なり、追い詰められた農民は次々と蜂起した。

天草と島原の中間にある湯島(上天草市)では、寛永14(1637)年に天草・島原の領民の代表が集まり一揆の談合が行われたと伝わる。当時16歳だった益田四郎時貞が天草四郎へと名を改め、一揆軍のリーダーとなる歴史的ターニングポイントを迎えた島だ。湯島の諏訪神社には、鍛冶職人が一揆に使う武器製作に使用したとされる水盤が今も残る。

談合島とも呼ばれる湯島。ネコが多く暮らす島としても注目される
談合島とも呼ばれる湯島。ネコが多く暮らす島としても注目される

島原の原城に立てこもった一揆軍3万7千人は幕府軍により滅ぼされ、一揆は鎮圧された。信仰を支えに苦境に立ち向かった農民のほとんどがキリシタンだったという。天草の島々を巡れば、各地でキリシタンや一揆に関連するスポットと出合える。そこに眠る数多の魂に思いをはせれば、祈りの歌が聞こえてきそうだ。

■アクセス 熊本空港や福岡空港から飛行機が運航。宇土半島の三角から車でも。九州本土と島々を結ぶ船のルートもある

■プロフィル

小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は100島を巡った。

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