昭和54年1月、奈良市東部の茶畑で、古事記を編纂(へんさん)した太安萬侶(おおのやすまろ)の墓が発見された。同23日、「大和茶」の産地として知られるのどかな山里の上空には、報道のヘリコプターが旋回し、茶畑沿いの小さい道にはマスコミの車が列をなした。「太安萬侶の墓誌発見」。テレビはこの夜の全国ニュースで、新聞各紙は翌日の朝刊1面トップで一斉に報じた。教科書にも登場する歴史的人物が約1300年ぶりによみがえり、古代史フィーバーの舞台に一変した。
「これから大騒ぎになる」
報道発表は23日午後3時から奈良県庁で行われた。ただし、発掘を担当した県立橿原考古学研究所の研究員、前園実知雄・奈良芸術短大教授(75)は、その場にいなかった。
報道発表に備え、同日朝から墓誌が掘り出された茶畑に立っていた。「これから大騒ぎになる。どう対応したらいいかで頭がいっぱいだった」と振り返る。