飛鳥時代の偉人、聖徳太子(574~622年)の1400年遠忌が去年から今年にかけて営まれている。太子をめぐる謎に始まり、若き日の足跡や政策、聖地・法隆寺、そして時を超えて親しまれる太子の姿をたどってきた「和をつなぐ」も最終回。第6部では、ご当地の奈良、大阪から兵庫、東近江、関東へと全国に広がり、日本人の心をとらえた各地の太子信仰を紹介する。
菩薩半跏像、重なる母の面影
悠久の歴史をたたえる聖徳太子信仰の聖地、奈良県斑鳩(いかるが)町の法隆寺。一帯は太子ゆかりの寺院の集積地で、長く人々の心のよりどころとなってきた。
国宝・五重塔を含めた『斑鳩三塔』(ほかに法輪寺、法起寺)はよく知られたところだが、太子が住んだ斑鳩の宮跡に建つ夢殿(国宝)の東隣にもう一つ、別の寺院がある。皇女らが入る尼門跡寺院として歩んできた中宮寺。歴史は飛鳥時代にさかのぼり、太子の母で31代用明天皇皇后、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとひめみこ)の宮を寺に改めたと伝わる。
有名なのは国宝の本尊・菩薩半跏(ぼさつはんか)像だろう。飛鳥時代の傑作で、左足を垂れて右足をその膝の上に組んで腰掛け、右手を頬に添える「半跏思惟(しゆい)」という姿。人々をいかに救うか物思いにふける姿といい、ほほ笑みはどこまでも優しい。像の由来は不明だが、その姿は和を重んじた太子、それを見守った母とも重なる。
中宮寺跡、不明な部分も
「中宮寺跡は『斑鳩三塔』に比べて知られておらず、太子ゆかりの地としてもっと発信したい」。そう話すのは、現地で発掘調査を担当した斑鳩町教育委員会の荒木浩司係長だ。