話の肖像画

真矢ミキ(22)身をもって「老い」を教えてくれた母

若き日の真矢さんの父、佐藤隆二さん(右)と、母の雪子さん
若き日の真矢さんの父、佐藤隆二さん(右)と、母の雪子さん

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《もともと宝塚ファンで、真矢さんの宝塚入りのきっかけを作ったのが母、佐藤雪子さんだ。とはいえ決してステージママではなく、「普通が一番」が口癖で、要所要所で真矢さんに厳しく接した》


忘れられないのが、私が宝塚の下級生(若手)時代、ファンの方々からいただいた花束を抱え、実家に帰ったときのことです。家に入った途端、「その花束を置いて、このゴミ、捨ててきてちょうだい」って家のゴミ袋を手渡されたんです。

私は断固、拒絶しました。「まだファンの方々が外にいるから、できない」って。すると母は笑いながら、「そんなことを言うようではダメね。あなたは仕事を離れれば、普通の家の、一人の人間なのよ」と言って、ファンの方がまだ近くにいらっしゃる中、ゴミを捨てに行かされたんです。当時は屈辱に感じましたけれど、今、思うとありがたいですね。母は、私が調子に乗っていると、いつも目を覚まさせてくれる人でした。


《15歳で宝塚音楽学校入学のため、親元を離れた真矢さんだが、平成16年、父・隆二さんが亡くなり、雪子さんを東京に呼び寄せる》


母は30年に88歳で亡くなりましたが、亡くなるまでの約10年は、身をもって私に「老い」を教えてくれたと感謝しています。大人になって分かった気になっても、当事者にならなければ分からないことはいっぱいあって、老いはその一つです。

最初に異変を感じたのは、父が亡くなって半年後。兄から電話があり、「美季(本名)から毎日、電話があって大変」と母が言っていると言うんです。でも電話をかけてくるのは、いつも母でしたし、母は私には「お兄ちゃんから毎日、電話があって大変」と言っていたんです。話が交錯し、心配になって同居することにしたんです。今思えば、あれは認知症ではなく、心の寂しさの表れだったと思います。


《平成20年、真矢さんはバレエダンサーの西島数博さんと結婚。夫婦で雪子さんの家から徒歩3分の近所で暮らし、雪子さんは一人暮らしとなった》


母は、実の娘よりフレンドリーに接してくれる西島さんが大好きで、新たな〝息子〟の出現に喜んでいました。私も夫も、こまめに母の家に行っていましたが、母が「部屋の中は恥ずかしいから、見ないで」と言うのを真に受け、玄関で待って誘い出していたんです。ただ料理上手だった母が、「食事はコンビニで済ませたわ」と言い出したのに違和感を覚え、私が久しぶりに部屋に入ったら、信じられないほど散らかっていました。

猛省しました。母の見た目にも会話にも、私は変化を感じていなかった。父を見送って、ようやく元気を取り戻しているとばかり思い込んでいた、自分の浅はかさに嫌気がさしました。


《年々、老いる母。一人で悩んでいたところ、西島さんが雪子さんに、同居を持ちかけた》


さすがに私から夫に、同居の相談はできなかった。そうしたら3人で食事をしていたとき、西島さんが母に、ごく自然に「ママ、一緒に住まない?」と誘ってくれたんです。私は感謝で言葉が出ず、胸に熱いものがこみ上げました。私以上に感激したのは多分、母です。普段は「そろそろ危ないと思ったら、いつでも私を施設に入れてちょうだい」と冗談めかして笑っていたのに、「あらぁ…」って絶句し、下を向いていました。

ありがたいことに西島さんのご両親も、母との同居を優しく快諾してくださいました。結婚式から4年後、ふいに3人での珍生活が始まりました。(聞き手 飯塚友子)

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