《平成27年、現在の所属事務所に移り、芸名を「みき」から「ミキ」に変えた。最初の仕事が、朝の情報番組「ビビット」(TBS系)の司会だった》
宝塚時代も最初、芸名は「ミキ」にしようと考えていたくらいだったので、当時、50歳の節目も迎え、心機一転の気持ちを込めました。
今までも司会の経験は多少ありましたが、生放送の帯番組は初めて。同じライブでも、宝塚の舞台とは全く勝手が違いますから、オファーをいただき、正直、悩みました。「3日間、時間をください」と言って、夫(バレエダンサーの西島数博さん)を含む3人の方に相談しました。結果、みんなが「やるべきだ」と背中を押してくれた。事務所移籍直後に出た話ですし、人生の中で、時に「流れ」に乗ることも大切だと思ったんです。
《月曜日から金曜日まで、朝8時スタートの生放送に合わせ、生活が一変。朝4時過ぎには起床し、5時過ぎに東京・赤坂にある放送局入り。新聞を全紙チェックし、打ち合わせ会議、本番を経て、反省会―と、〝朝の顔〟の生活は4年半続いた》
時事ネタから芸能ニュースまで、幅広い情報を視聴者の皆さんに心地よく届けられるよう、最大限の努力をしました。それまで芝居では、さっそうとしたキャリア女性の役が多かったのですが、生放送では私の不器用な素顔が自然に出て、逆に本当の私を知っていただき、肩の荷が下りるようでした。
でも当初は、しゃべりが放送時間内に収まらなかったり、失敗も多かったです。ただ徐々に、バレーボールでトスを回すようなチームワークが生まれましたね。また意外と司会の仕事は、俳優の仕事にも通じると気づいたんです。番組で一つの事件を扱うにしても、異業種のコメンテーターや専門家が並ぶと、それぞれニュースを捉える切り口が違うんです。俳優という仕事も正解がないですから、自分の頭の中だけで考えると行き詰まることがあるので、そんな皆さんの毎朝の視点や意見が、演技のヒントにつながりました。
《情報番組の司会をしたことで、特に事件報道の捉え方が変化したと話す》
以前はニュースを見ても、「お気の毒だな…」と被害者の方に思いをはせつつも、すぐに自分の生活に戻す感覚でした。でも情報番組で、自分が事件を伝える立場になってからは、恐れ多いですが、ある意味、記者目線になり、より多角的に捉えられるようになりました。
なぜこの事件は起きたのか。社会的な背景は何か。被害者だけでなく、その家族や、加害者の家族もある意味〝被害者〟かもしれない…など。リサーチをしていきながら、ニュースを俯瞰(ふかん)で見られるようになった気がします。
放送前に、「私はこういう意見を言いたいのですが、おかしくないですか」と常にスタッフに率直に聞いて、自分の感覚がズレていないか、人を傷つけていないかを、確認していました。大人になって、知識が身につく喜びを存分に味わいましたし、何より伝えることの難しさを感じました。
《ドラマの撮影は午後に入れ、俳優業と両立。帰宅後は家族の食事を作り、翌朝の番組の調べものに追われた》
当時は時間に追われましたけれど、司会の仕事をさせていただいたことには、感謝しかないです。守りに入らず、自分の間口を広げる経験をさせていただき、今まで見られなかった壮大な風景が見られたと思っています。(聞き手 飯塚友子)