起業家は自ら描いた未来に自分を賭ける。緒方憲太郎さん(41)はあるとき「音声の時代が来る」と確信した。6年前にネット上で音声プラットフォームを運営するVoicy(ボイシー)を起業、新ビジネスは加速がつきはじめた。新しい価値が生まれたのだ。起業家の心の内とは、どんなものなのだろう。
「声のブログ」配信
「無いものがあるようになるってステキですよね。一気に文化が変わることもある。起業には課題解決と価値創造の2つの型がありますが、僕は後者のタイプですね。どーんと価値を生んで、お金に変えたい」
ボイシーは、「声のブログ」や新聞社の音声ニュースを配信している。千人以上の多様なパーソナリティーが独自に番組をつくる声のブログは、スマートフォンで録音し編集もなく配信できる手軽さだ。
「人生が充実し、多忙きわまりない人でも手間をかけずに発信できる。そんな人たちが何をし、何を考えているのか聞きたくないですか。いままで発信できた人はプロかヒマがあるか、どちらかに偏っていた」
パーソナリティーはタレント、脳科学者、同時通訳者、美容師と職業や話すテーマも多岐にわたり、アプリで好きな番組を聞ける。水をボトルに詰め、ミネラルウオーターとしてラベルを付けると、流通可能な商品になったことを思う。形のない音声をパッケージし、ネットを使った配信システムをつくり、今までなかった価値を生み出したのだ。
音声の時代を予感したのは、技術への着眼もある。
「動画は映画、テレビ、ユーチューブ、ティックトックと新しいフォーマットが次々と出てきたが、音声はラジオのままだった」
ネットの時代に合った音声フォーマットを作れば、需要はあると踏んだのだ。歩きながらでも、家事をしながらでも、音声は聞くことができる。テキストや映像より身体拘束が少ない。
「歴史的に人は、情報を得る手間を省いてきた。情報との接点がより自然になると、音声はもっと生活の中に入ってくると思う」
ボイシーを起業後、スマートスピーカーやワイヤレスイヤホンなど、音声機器が急速に浸透してきた。音声との接点が増え、追い風が強くなっている。時代があとからついてくるのは、起業家の醍醐味(だいごみ)だろう。月収600万円を稼ぐパーソナリティーも出てきた。
「GAFA(ガーファ)も音声ビジネスを狙っている。大きなムーブメントが来ています」
人間味ある「声」に信頼
ネット上の音声プラットフォームを運営する「ボイシー」を起業した緒方憲太郎さんは、独特の言い回しが多い。例えば「ひとはベストのものを欲しがっているわけではない」。反常識的な言葉はまるでリトマス試験紙のように、存在するのに気づかれていない価値を浮かび上がらせる。
面白い話がありますと緒方さんは言う。「ラジオの通販って、すごく返品率が低いんです。カーテンいい色ですね、扇風機いい風来てますねって、見えない。それでも買うんです。なぜだと思いますか」
全く知らなかった。理由も見当がつかない。
「人はあふれかえる情報に溺れている。商品のレコメンデーションは見切れないし、ゴーストライターかもしれない。でも声はウソをつけない。本人性が高くヒューマニティー(人間味)がある。信頼できるひとがこれいいよって言えば、買いたくなるんです」
この考えはボイシーに生かされた。パーソナリティー自身がスポンサー企業の名を告げる。好きなパーソナリティーを支援する企業として、聴取者への訴求効果が高いという。従来のコマーシャルは番組内容と切り離されていた。常識が変わってきたのか。環境や人権への取り組み、すなわちヒューマニティーが、企業価値を高める時代である。
「ベストのものを欲しがっているわけではない」も、ヒューマニティー時代の現象なのだろう。
「上手ではなくても、かわいくなくても売れるミュージシャンがいる。ベストオブベストより、自分にとっていいもの、愛着が大事になっているのです。だから、早い、安い、美味(うま)いで売る商売は、苦しいんじゃないでしょうか」
最安値、最高品質を求める傾向はなお強いように思うが、気づかぬうちに異なる胎動が起きている。新聞という「オールドメディア」に身を置く記者を突き刺したのは、次の言葉であった。「何がプロフェッショナルかは時代とともに変わっていくでしょう」
「プロとは稼げることであって、需要の変化で稼げなくなればもうプロとはいえない。歌舞伎とはこういうものとこだわっていても、時代に合わせた変化も求められる。ユーチューバーで稼げるなら、それはもう立派なプロといえます」
自らのキャリアも自分らしいプロの道を求めてきた。大学を出て監査法人に入ったが29歳で休職し、そのまま退職した。公認会計士としての将来が見えてしまったからだという。人生を楽しみたいと海外に出た。ニューヨークでベンチャービジネスを支援する著名企業に2年ほど勤め、米国エリートたちの働きぶりを目の当たりにした。
「アメリカでは、新しく不確定な分野に行くことがかっこいいという気分が、優秀な人ほど強い。日本はまるで反対。人材の使い方が間違っているというか、もったいないと思う」
ボイシーで音声事業を行う一方、いまもビジネスデザイナーとしてベンチャー支援に取り組んでいる。(坂本英彰)
【プロフィル】おがた・けんたろう Voicy(ボイシー)代表取締役CEO、ビジネスデザイナー。昭和55年、兵庫県芦屋市生まれ。大阪大基礎工学部卒後に同経済学部に編入して卒業。公認会計士資格取得。平成18年、新日本監査法人に入社。29歳で休職しその後退社。世界各地をまわり、米国でコンサルティング会社、アーンスト・アンド・ヤングに約2年間勤務。帰国後にがん遺伝子検査を仲介する会社を起業し、3年後に売却。平成28年、インターネット上の音声プラットフォームを開発運営するボイシーを創業。