第二の人生は子ども食堂で 帝国ホテル元総料理長・田中健一郎さん

子ども食堂に向けて発信するレシピ動画の撮影に挑戦する田中健一郎さん(右)。後藤繁榮アナとの息もぴったりだ=令和3年12月、東京都中央区の「スタジオプラスジーギンザ」(飯田英男撮影)
子ども食堂に向けて発信するレシピ動画の撮影に挑戦する田中健一郎さん(右)。後藤繁榮アナとの息もぴったりだ=令和3年12月、東京都中央区の「スタジオプラスジーギンザ」(飯田英男撮影)

今年還暦を迎える昭和37年生まれは約153万人(総務省統計局による推計)。定年を迎え、第二の人生のスタートを切る人もいるだろう。昨年、帝国ホテルを退職した元総料理長の田中健一郎さんは寅年生まれの71歳。干支(えと)6周を結ぶ今年、新たな舞台に「子ども食堂」を選んで始動した。「ただの〝料理のおじさん〟でいい。子供たちと一緒の楽しい世界が待っている」と目を輝かせる。(榊聡美)

20年間400人束ね

帝国ホテル(東京都千代田区)は明治以降、日本におけるフランス料理の伝統を築いてきた。130年以上の歴史の中で、総料理長は日本の西洋料理の第一人者として知られる村上信夫さんと、田中さんの2人だけだ。村上さんの後継者として20年余り、約400人もの料理人を束ねた。

「入社時は5年で辞めるつもりでしたが、52年間ホテルマンとして勤めました。高度経済成長からバブルを経験し、リーマン・ショック、東日本大震災…と、浮き沈みの激しい半世紀でしたけれど過ぎてみれば光陰矢の如(ごと)し、です」

仕事に悔いはない、ときっぱり言い切る。

退職を間近に控え、NHK「きょうの料理」で何度も共演した、フリーアナウンサーの後藤繁(しげ)榮(よし)さん(70)のラジオ番組に出演した。そのときの様子を後藤さんはこう振り返る。

「『退職後、この先の70代はどんなことをされますか?』と話を向けたら、『子ども食堂で鍋を振りたい』とぽつり。あまりにも意外で言葉が出なかった。レストランにスカウトされたり、調理師学校の名誉講師に招かれたり、と勝手に想像していたので」


田中さん考案による備蓄食品を活用したメニュー。上から牛肉の大和煮とポテトのグラタン、五目ご飯のオムライス、トマトとウインナーのポタージュ (飯田英男撮影)
田中さん考案による備蓄食品を活用したメニュー。上から牛肉の大和煮とポテトのグラタン、五目ご飯のオムライス、トマトとウインナーのポタージュ (飯田英男撮影)


備蓄食品活用メニュー

単なる思いつきではなく、胸に温めてきた思いが口をついた。番組をきっかけに、NPO法人「全国こども食堂支援センター・むすびえ」の湯浅誠理事長と知り合った。

昨年9月に退職し、まず手掛けたのは、国が災害時に備えて保管している備蓄食品を活用した、子ども食堂向けのメニュー開発だ。賞味期限が迫ると、食品ロスの削減などのために提供されるが、以前から「おいしく調理するのが難しい」といった声が上がっていた。

牛肉の大和煮缶詰はジャガイモと合わせてグラタンに、アルファ米の五目ご飯は、トロトロの卵をのせてオムライスに。フランス料理のエッセンスを取り入れながら、子供が喜ぶメニューに変身させた。こうしたレシピは、この取り組みに協力した東京ガスのホームページ「ウチコト」( https://tg-uchi.jp/topics/7588 )にも掲載されている。

後藤さんとのコンビで「きょうの料理」の雰囲気そのままに、レシピを紹介する動画も制作された。全国の子ども食堂運営者らを対象にしたオンラインセミナーで紹介された後、消費者庁、むすびえのホームページ( https://musubie.org/news/4507/ )でも公開される予定だ。

脱・個食の場に

「新型コロナ禍が落ち着いたら、自分で子ども食堂を運営し、子供と一緒に台所に立ちたい」

熱く語る田中さんは現役時代から、いつかは子供の食に携わりたい、という気持ちを募らせていた。長年にわたって子供のための食育、味覚教育の活動に取り組む中、一人で子供が食事をする「孤食(こしょく)」の弊害を痛感したからだ。

「食の根底にあるのはコミュニケーションです。ところが、子供たちはおいしいものはただ『おいしい』とだけ、すごくおいしいものは『やべっ』という…」

小学生は味覚の発達と同時にコミュニケーション力が高まる時期でもある。大勢で食卓を囲んで話をすれば、自分なりの言葉で味を表現する力が養える。それがおいしさにつながり、食べ物への感謝の気持ちも湧いてくる-。それが田中さんの考えだ。

「子供だけではなく、地域のおじいちゃんやおばあちゃんなど、いろいろな人が集まる子ども食堂は、〝おいしい〟で人と人とがつながる場。そこに学びがあれば、なおいいと思っています」

たなか・けんいちろう 昭和25年東京都生まれ。同44年帝国ホテル入社。東京料理長を経て平成14年に2代目総料理長就任。同31年特別料理顧問となり、東京五輪ではメニューアドバイザリー委員会の座長も務めた。

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