ビブリオエッセー

認識の拡張。そして人工知能 「計算する生命」森田真生(新潮社)

二乗すると負になる「虚数」はその謎の性質ゆえ長く未解決のまま、数学者の関心を惹きながら本気で相手にはされなかったらしい。ところが19世紀、ガウスらが虚数を直線上ではなく平面上に置いてみると虚数は秩序ある動きを見せた。「複素平面」の発想だった。

こうして人間はたとえ旧来の論理から外れたものでも無意味と切り捨てず、不可解なままじっくり向き合い、認識を拡張してきた。

森田さんは在野で数学を研究する「独立研究者」。描かれる数学の世界は躍動的で魅力的だ。たとえばバラバラに存在していた関数たちが織りなす調和した世界。数学が苦手でも一度はのぞいてみたいと思わせる。

本書はヒトが「数」に目覚めた太古からAI研究に至るまでの数学の歴史を綴っている。「演繹(えんえき)」という概念の形成ではユークリッドからデカルト、リーマンへとその歩みをたどり、それぞれの業績が直線的に連なってきたことがわかる。いずれも後続の理論の土台となっていた。簡素な数式に数学者たちの思いや人生のすべてが詰まっているかのようだ。

人間を「計算」の歴史という文脈でみれば互いを補いながら進化してきた様子がうかがえる。対立するのではなく自己像を更新しながらの進化。1+1=2から始まった計算は人間の心のメカニズムに迫る認知科学を取り込み、人工知能、AIというかたちを得た。

森田さんにとって人間は「現実を新たに編み直し続けてきた計算する生命」であり、「計算と生命の雑種(ハイブリッド)」なのだ。人間とAIの新たな歴史が始まった今、人間はAIを通して認識の限界を押し広げていくのだろう。倫理問題など簡単ではないが、「計算する生命」はいつの日かそれをも乗り越えていくに違いない。

兵庫県尼崎市 加藤百合子(49)

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