「めぐみさんは北にいる」 横田家へ拉致情報を伝えた関係者の思い

兵本達吉さん=令和4年1月11日、埼玉県川越市(橘川玲奈撮影)
兵本達吉さん=令和4年1月11日、埼玉県川越市(橘川玲奈撮影)

昭和52年に新潟市で行方が分からなくなって以来、情報がなかった横田めぐみさん(57)=拉致当時(13)=について、平成9年1月21日、驚くべき証言が横田家にもたらされた。「お嬢さんは北朝鮮にいる」。あの日から25年。議員秘書、大学助教授、支援組織関係者…。細い糸を手繰り、「一筋の光」(早紀江さん)を届けた人物たちが産経新聞の取材に応じ、当時の経緯や、なお解決を見ない現状への思いを語った。

泣き腫らした目

「途中で泣いていたのだろう。滋さんの目は、赤く腫れていた」

9年1月21日、参院議員会館を訪れためぐみさんの父、滋さんの様子を、兵本達吉さん(83)はそう回顧する。

共産党所属の参院議員の秘書として、北朝鮮問題を調べていた兵本さんはこの面会の直前、電話で「お宅のお嬢さんが、北朝鮮に拉致され、北朝鮮で生きているという情報がある」と伝えていた。「え…」。滋さんは言葉を失ったという。

昭和52年11月にめぐみさんの行方が分からなくなってから、すでに20年近い月日が経過していた。住まいのある川崎市から会館までの道すがら、滋さんの感情が高ぶったことは、容易に察しがついた。

この日に至るまでには、曲折があった。

発端は、大阪・朝日放送のプロデューサーだった石高健次さんが、朝鮮専門誌「現代コリア」の平成8年10月号に寄せたリポートだった。石高さんが韓国情報機関の高官を取材した際に聞いた話として、「13歳の少女の拉致」の経緯が記されていた。

「伝えなければ」

《少女が日本の海岸から拉致された》《クラブ活動だったバドミントンの練習を終えて、帰宅の途中だった》

8年12月、同誌を発行する現代コリア研究所元所長の佐藤勝巳さん(故人)が新潟県での講演会で、リポートの内容に触れた。昭和52年のめぐみさん失踪時と多くの点で合致していると指摘があり、出席者らの間で「少女」と「めぐみさん」が、つながる。

黒坂真さん=令和4年1月18日(黒坂さん提供)
黒坂真さん=令和4年1月18日(黒坂さん提供)

「一刻も早くご両親に伝えなければ」。大阪経済大の助教授(現教授)で北朝鮮情勢を研究していた黒坂真さん(60)はこのころ、現代コリアのサイトを通じて状況を把握、横田家の行方捜しに乗り出した。新潟を出てからの所在が分かっていなかった。

横田めぐみさんの救出に向け、新潟に全国初の支援組織を発足させた小島晴則さん。1人で暮らす自宅には、所せましと北朝鮮に関する資料が積み重なる=13日、新潟市東区
横田めぐみさんの救出に向け、新潟に全国初の支援組織を発足させた小島晴則さん。1人で暮らす自宅には、所せましと北朝鮮に関する資料が積み重なる=13日、新潟市東区

新潟で生まれ育ち、在日朝鮮人らの北朝鮮への帰還事業に携わった経験を持つ小島晴則さん(90)は、黒坂さんから情報収集の依頼を受けたことを覚えている。滋さんが日本銀行新潟支店に勤めていたことは人づてに把握しており、「何か分かるかもしれない」と同行に相談した。しかし、個人情報だとして取り合ってもらえなかった。

「政府は何を」

黒坂さんはあきらめなかった。議員秘書という公の肩書がある知人の兵本さんを頼った。滋さんは当時、すでに退職していて、兵本さんは同行OB会に掛け合い、ついに接触に至った。

「最も大事な、親にたどりつけた。これで動き始めるのではないかと思った」(黒坂さん)

ほどなく、小島さんは、滋さんの了承を得て、「横田めぐみさん拉致究明発起人会」を立ち上げた。救出運動の先駆けの組織であり、やがて、今日まで被害者家族を支える「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」へ形を変えていく。

平成9年2月3日には、同日付けの産経新聞、同日発売の週刊誌「アエラ」が、めぐみさん拉致疑惑を初めて実名で報道。黒坂さんの想定は現実となり事態は前に進み出した。

第3回日朝実務者協議で、新たに北朝鮮から提示された拉致被害者、横田めぐみさんの写真
第3回日朝実務者協議で、新たに北朝鮮から提示された拉致被害者、横田めぐみさんの写真

あの日から四半世紀。兵本、黒坂、小島の3氏は、真相究明へ日本政府の奮起を求める。来月、91歳の誕生日を迎える小島さんが思いを代弁する。「いち国民として、命を懸けて運動に取り組んできた自負がある。では、実務者であるべき政府は何をしてきたのか」。その目にははっきりと、怒気が宿っていた。

(中村翔樹、橘川玲奈)

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