1872年1月、明治政府が欧米に派遣した大規模な使節団は、最初の寄港地サンフランシスコに到着した。岩倉具視を特命全権大使とするいわゆる岩倉使節団の無事を伝える電報は、実は海底ケーブルを通じて日本にもたらされた。といっても太平洋ケーブルはまだ存在しない。
▼電報はまずアメリカ大陸を横断する。大西洋ケーブルで英国、さらに欧州大陸、アジアを経てほぼ1日で、長崎に届いた。デンマークの電信会社が71年に長崎―上海間、翌年に長崎―ウラジオストク間に敷設したばかりのケーブルを早速利用したわけだ。それから飛脚などの手段により、東京に着いたのは10日後である(『通信の世紀』大野哲弥著)。
▼当時は樹脂などを銅線に巻きつけて使っていたが、現在は光ファイバーに進化している。世界中で約400本の海底ケーブルが稼働しており、インターネットを含む国際通信の99%がそれを経由している。現代社会では最重要のインフラのひとつといえる。