映画祭には、どんな人たちが関わり、どのように進められていくのだろうか-。文化政策研究者の筆者は以前から疑問を抱き、NPO法人「なら国際映画祭」に注目してきた。奈良市は全国の県庁所在地で唯一「映画館のない都市」とされる。そこで開催される映画祭を紐帯(ちゅうたい)としてつながる人々の人生模様を描き、文化を生かした地域振興のありようを見つめたい。
シネマのまちのつくり方~なら国際映画祭② 資金調達のため香港へ
オーディション会場で
「こちらの壁から向こうの壁まで歩いて往復してください。歩く姿を撮影します」。2021年10月、奈良市・猿沢池そばのホテル尾花。なら国際映画祭が制作する新作『霧の淵』(仮題)の出演者を選ぶ1次オーディションが行われ、歩く姿を前から後ろから撮影した。30、31日の2日間で女子17人、男子13人が参加した。
審査員は監督の村瀬大智ら。主人公は山里の古い旅館に暮らす12歳の少女という。初めて映画のオーディションに立ち会った筆者は興味津々で見守った。
奈良県出身の女優といえば尾野真千子を思い出す。河瀨直美(東京五輪公式映画監督)がカンヌ国際映画祭で新人賞を受賞した『萌の朱雀』(1997年)を西吉野村で撮影した際に見いだされた。
村瀬作品から将来のスターが生まれるかもしれないと思うと胸が躍った。
24歳のメジャーデビュー
村瀬は97年生まれ、滋賀県甲賀市信楽町の出身だ。陶器のまちの実家はかつて弁当のお茶容器を製造する土瓶工場を経営していた。京都造形芸術大(現・京都芸術大)映画学科に学び、『忘れてくけど』『彷徨(さまよ)う煙のように』『赤い惑星(ほし)』を制作。短編の『忘れてくけど』はカンヌ国際映画祭のショートフィルムコーナーに出品されて注目された。4作目として卒業作品『ROLL』を完成。2020年のなら国際映画祭で観客賞を受賞した。
村瀬にさらなる映画制作の機会を与えたのは、同映画祭のプロジェクト「ナラティブ」だ。映画祭受賞者から監督1人を選出し、翌年に県内のロケ地で撮影を行う。
「学校を出たばかりの若手では集めるのが難しい資金」(映画祭関係者)を投入して海外に羽ばたく監督になってもらいたいと願う。村瀬は受賞後、ロケ地に内定していた川上村を何度も訪れて案を練り、20年10月末の締め切り間際に脚本を提出し選ばれた。それが『霧の淵』(仮題)だ。
9月公開を目指して
村瀬は21年3月に渡仏して映画修行する予定だったがコロナ禍で断念。小学校で任用会計年度職員を務めて脚本を練ってきた。1次オーディションの時点で第7稿。その後、電話して確認すると、11月8日に第8稿を書き上げ映画祭理事が手を入れているところだという。ゴールは第何稿かと尋ねると「それは僕が一番知りたい」と苦笑しながら言った。
2次オーディションは12月11日にホテル尾花で行われ、主人公候補の女子3人と同級生候補の男子3人が参加した。
村瀬は、1次の際に「この子かも」と感じた候補がいたが、2次での硬い表情や演技を見て「僕が演技指導できるだろうかと少し迷った」と打ち明けた。最終的には演技力より「古い旅館にたたずむ姿を思い描くことのできる少女を起用したい」と言う。
川上村での撮影は3月下旬から予定される。9月の映画祭での公開が楽しみである。
幸運な監督
自治体文化政策の研究者である筆者からみるとき、映画祭にはいくつかの類型があるように思える。
①世界各国から著名監督の作品が寄せられて競い合い、買い手も集まるビジネス型②若手監督を表彰する育成型③日ごろ見る機会のない外国映画などを上映する鑑賞型④受賞監督に映画制作の機会を与える「つくる映画祭」⑤地域振興を主眼とするまちづくり型―などを思いつく。
なら国際映画祭は②③④⑤に相当するのではないか。筆者が同映画祭に関心を持った理由の1つに「ナラティブ」プロジェクトがある。映画祭は2年に1度、9月の数日間に開催される。国際コンペティション部門と学生部門が設けられ、競い合いを経て複数の賞が与えられる。受賞者から選ばれた監督が端境年の翌年に奈良県内で撮影を行い、作品に仕上げて、次の映画祭で初公開するという仕組みである。
第6回なら国際映画祭(2020年)は異例の開催となった。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、対面とオンラインの併用で実施されたからである。どの監督にナラティブ作品を制作するチャンスを与えるか、映画祭側で審査し白羽の矢を立てたのが、学生部門で観客賞を受賞した村瀬の企画だったというわけである。
同映画祭関係者によると、村瀬は「幸運に恵まれた」監督とされる。予定通りの時期に大学の卒業作品『ROLL』を仕上げた。なら国際映画祭の学生部門の本来の応募期間を過ぎていたが、新型コロナウイルス感染拡大のために、映画祭の出品受付期間が延びたことで、同作品は応募締め切りに間に合ったからだ。
学生部門からナラティブ監督が選ばれたのは今回が初めて。幸運を生かせるかどうかは今後の村瀬の手腕にかかっている。村瀬は「プレッシャーはない。僕を選んだ方々は『好きなことをやっていい』と言ってくださった。だから好きなことをやる。駄目だったら、選んだ人が悪いぐらいの強い気持ちで臨む。頑張ります」と筆者に率直に語った。
国際的な評価
改めて「ナラティブ」プロジェクトの意義を説明したい。なら国際映画祭は2010年に始まり、隔年で実施されてきた。ナラティブ部門は初回前年の09年に監督2人を選んで撮影され、第1回映画祭で上映した。以降、毎回の映画祭で「ナラティブ」監督を選び、翌年に新作を撮影してきた。
学校を卒業したばかりのキャリアの浅い若手や学生たちは「新しい映画をつくりたい」と切望している。しかし資金調達が高い壁として立ちはだかる。「監督」になるためには通常、映画のスタッフとして一定の経験を積み、才能や志のある者だけが「監督」として生き残る。そして作品を撮るにあたっては、プロの助監督や制作、カメラマンに依頼することが必要な場合もある。
こうした困難のなか、同映画祭の「ナラティブ」は若手をバックアップしてきた。「ナラティブ」のエグゼクティブプロデューサーは世界に知られた河瀨直美なので、新進の監督にとって資金調達や映画宣伝の面で利点がある。奈良で自作の映画を撮って世界の映画祭に挑むことができるのだ。
これまでの「ナラティブ」監督と作品名は次の通り。(撮影は前年にすべて奈良県内で行われた)
第1回=山崎都世子『びおん』と趙曄(中国)『光男の栗』▽第2回=ペドロ・ゴンザレス・ルビオ(メキシコ)の『祈』▽第3回=チャン・ゴンジェ(韓国)『ひと夏のファンタジア』▽第4回=カルロス・M・キンテラ(キューバ)『東の狼』▽第5回=アイダ・パナハンデ(イラン)『二階堂家物語』▽第6回鵬飛(ポンフェイ、中国)『再会の奈良』。
ナラティブからは有望な若手が育っている。十津川村で撮影された『祈』はロカルノ国際映画祭・新鋭監督部門最優秀賞、五條市で撮影された『ひと夏のファンタジア』は釜山国際映画祭・韓国映画監督組合賞にそれぞれ選ばれた。
さらに御所市で撮影された『再会の奈良』は、2019年の海南島国際映画祭で4部門を受賞。20年には上海国際映画祭オフィシャルセレクション、第33回金鶏百花映画祭オフィシャルノミネート作選出、東京国際映画祭で特別上映と話題を集め、21年の上海映画批評家賞でトップ10作品に選ばれた。
ポンフェイの『再会の奈良』は中国残留孤児の母を探す娘の物語で、國村隼らが出演している。これまで国内での上映は第6回なら国際映画祭と東京国際映画祭のみと鑑賞する機会は限られていたが、日中国交正常化50周年の今年には全国で公開されることになった。1月28日から地元・奈良県で先行上映され、2月4日からシネスイッチ銀座(東京)ほかで全国順次ロードショーが行われる。
=敬称略
(静岡文化芸術大学教授 松本茂章、写真も)
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まつもと・しげあき 静岡文化芸術大学教授、日本アートマネジメント学会会長、日本文化政策学会理事、文化と地域デザイン研究所代表。専門は文化政策、文化を生かしたまちづくり政策。著書に『官民協働の文化政策 人材・資金・場』、編著に『文化で地域をデザインする 社会の課題と文化をつなぐ現場から』など。