「私の百年の人生をかけて言います。誰が何と言おうと私は日本人です」-。日本統治下の台湾で生まれ育った台湾人の楊馥成(よう・ふくせい)さん(99)。戦後に喪失したとされる日本国籍が自身にあることの確認を求めて司法の場で訴えてきたが、東京地裁は今月、過去の最高裁判例を踏襲し、請求を退けた。来月には百寿を迎えるが「台湾人が日本に対しどういう気持ちを持っていたか、訴訟を通じて知ってほしい」と、法廷闘争を続ける覚悟だ。
軍属経歴で投獄も
楊さんは大正11年、旧台南州で日本国籍を持つ両親の間に生まれた。日本名は大井満。日本語を主とした初等教育を受け、台湾代表として野球部が甲子園に出場、準優勝したことでも知られる州立嘉義農林学校(現・国立嘉義大学)に進んだ。