話の肖像画

真矢ミキ(17)父亡き後に知った過酷な半生

父、佐藤隆二さん(左)と家族旅行を楽しむ
父、佐藤隆二さん(左)と家族旅行を楽しむ

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《平成16年1月31日、真矢さんの40歳の誕生日に父、佐藤隆二さんは中咽頭がんのため、73歳で亡くなった》


その日は都内で、ファンクラブが主催する私の誕生日パーティーのイベントが予定されていました。千葉県内の病院で昏睡(こんすい)状態だった父に、断腸の思いで早朝、「申し訳ないけれど、午前7時半には出発しなくちゃいけないの」と告げたところ、出発の2分前に、父は息を引き取りました。

社交的だった父は、人の笑顔が大好きでしたから、この日を選んでくれたと思います。「パパがいなくなっても、こんなにあなたを愛してくれる人がいる」というメッセージが聞こえたようでした。その日、私は予定通りイベントを遂行し、ファンの方には訃報をお知らせせず、皆さんと笑顔で過ごしました。

長年の闘病生活から解放された父の葬儀は、もちろん泣けてきましたが、会社のため、家族のため、全速力で走り続けてくれた父に、あっぱれとの気持ちで見送ることもできました。


《隆二さんの死後、遺品を整理していたら、驚くものを発見した》


父にいくら良い席を用意しても、「君の舞台など見る時間はないから、どうぞお気遣いなく」って受け取らなかったのに、父の机の中から(兵庫・)宝塚大劇場の最後列の当日券の半券が数枚、出てきたんです。父は、娘の舞台にお金を出して見に来てくださるお客さまより前の席に、座れなかったんですね。また私に無用な緊張を与えないよう、こっそり見守ってくれていた気もします。

パソコンの「お気に入り」や、持ち主を失った携帯電話のメールの宛先も、「みき、みき」…。驚くべきはパスケースにも、レオタード姿でバランスを取る、10代の私の写真まで入っていました。いつも冷静な父親だったのに、実はすごく〝お父さん〟だった。父の同僚だった方々からも、「お父さん、よく美季(本名)ちゃんの事、話していたよ」と後に伺い、心温かくしていただきました。


《隆二さんは生前、結婚前の話をしなかった。死から9年後の25年、NHKの人気番組「ファミリーヒストリー」に真矢さんが出演し、父の知られざる過去を知ったという》


番組で初めて知ったことが山ほどあって、感謝しています。父は、山形でバス会社を経営し、放蕩三昧(ほうとうざんまい)だった祖父に少年期、別れを告げられた子供だった。その悔しさ、祖父を見返したいとの思いが、勉強や仕事の原動力になったようです。


《隆二さんが4歳のとき、祖父と祖母が離婚。隆二さんは女手一つで育てられ、戦後、横浜にあった進駐軍のPX(売店)で働きながら学費を稼ぎ、英語力も磨いて大学に進学。卒業後は国内外の航空会社で、ディスパッチャー(飛行計画作成)や新規路線開拓、航空機の買い付けなどを担当し、最後は日本エアシステム(JAS)の取締役まで務めた》


母とは学生時代に知り合って、父の就職後、結婚したそうです。母の実家は横浜で工務店を経営し、母方の祖父は職人さんを大勢抱えて家庭的だったそうですから、その中で父は自分の家庭で、つらい過去を封印したんでしょうね。

ただ昭和47年、祖父の訃報を受けたとき、父は悩んだ末、38年ぶりに故郷・山形に帰り、葬儀に参列したと聞きます。祖母や自分を棄(す)て、苦労を被った祖父の葬儀に参列したのが、父らしいと思います。笑顔の中に、すっと筋が一本通った人でした。今でも時々「会いたい」と思います。(聞き手 飯塚友子)

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