千葉県八街市で昨年6月28日、飲酒運転のトラックが下校中の朝陽小学校の児童5人をはねて死傷させた事故で、自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)の罪に問われた元運転手、梅沢洋被告(61)の第4回公判が17日、千葉地裁(金子大作裁判長)で開かれ、被害児童4家族のうち3家族が意見陳述した。飲酒運転は「人を殺すのと同じこと」とし、「少しでも重い罪で裁かれることを望む」と訴えた。梅沢被告はうつむいたまま陳述を聞いていた。終了後、被害者家族は「私たちの思いがきちんと裁判所や関係各所に伝わることを願っています」とコメントを出した。3家族の意見陳述(要旨)は次の通り。
亡くなった川染凱仁(かいと)君=当時7歳=の父親
被告人はこれまで、自分のしたことの重大性を理解しておらず、全く反省していない。裁判を通じて「やっちゃった」などと発言しており、言葉の端々から全く反省していないことが感じられる。事故後、やっと息子に会えたのに、冷たい台の上で、全身傷だらけで横たわり、うつろな目をしていた。呼びかけても返事がなかったときの寂しさや悲しさを分かった上で事件に向き合っているか。骨盤が抜かれていて、出血を抑えるため、起き上がらせてはいけないと言われたときの悲しみがわかるか。(涙ぐみ言葉につまる)。被告人は「自分は運が悪かった」と思っていないか。
今は家に帰るととても静か。子供が2人いたときは騒がしいのが嫌だったが、それが幸せだったと感じる。妻は、亡くなった息子の写真を見て泣いている。妻は「いろんな表情を知っているはずなのに、あの日(事故当日)の姿が浮かぶ」という。私が(凱仁君の)7歳の誕生日に書いた手紙には、大きくなったら一緒にしたいことをたくさん書いたが、全部なしになった。息子は、ルールを守って1列になって歩いていた。悪いことは何一つしていない。飲酒運転をしないという簡単なルールを守らなかったことは人を殺すことと同じ。厳正なる判決を望む。
重体となった女児の父親
娘は将来は学校の先生になりたいと言っていた。私も夢がかなえられそうだと思っていた。昨年のゴールデンウイークに自宅の庭でキャンプをしたときにはテントの設営を手伝ってくれた。父の日には、ヒマワリの花束と「ありがとう」という手紙をくれた。思いやりのある優しい子に育ってくれたことをうれしく思っていた。搬送先では手に負えないとドクターヘリで別の病院に運ばれ、午後9時ごろにようやく娘に会えた。顔中傷だらけで顔はパンパンに腫れていた。何本もの管につながれており、生かされているような感じだった。3回の手術をうけ、意識は戻ったが、視力は低下し、両目とも視野が半分程度になり、高次脳機能障害を負った。娘はそれでも絶望することなく笑顔で頑張っている。
娘は被告人に対しても「別に怒っていない。許してあげて」というが、変わってしまった容姿とうまくいかない勉強に学校に戻るのが怖いという。これからも元の生活には戻れないだろう。娘もこれから絶望するかもしれない。被告人は本当に反省しているようには見えず、噓をついているとすら思う。日常を返してほしい。私たちが穏やかに過ごせるよう、少しでも重い罪で裁かれることを望む。
重傷を負った男児の両親
【父親】これまで裁判所と縁のない生活をしてきたが、事故によって生活が一変した。被告人の話を聞いていると後悔していても反省していないように見える。猛省して欲しい。被告人には二度とハンドルを握ってほしくない。どうしたら飲酒運転をなくせるのか考え、刑務所に入って罪を償ってほしい。
【母親】息子は、事故があった日から毎日痛くてつらい治療をしてきたが、決して泣かなかった。亡くなった友達の分も一生懸命生きようと思ったのか、弱音を吐かなかった。だが、友達を亡くしたことと怪我のショックは大きかった。家の中でもトイレや風呂には一人で行けず、夜は「会いたいよ」「遊びたいよ」と泣いている。サイレンや大きな物音、トラックや人混みをひどく怖がる。息子は小学校に1年しか通えていない。息子は走ることが大好きで、1年生から6年生までずっとリレーの選手になりたいと言っていた。1年のときはリレーの選手に選ばれ、嬉しかったようだった。事故で叶わない夢になった。入学前に楽しみにしていた学校生活が一瞬で奪われた。事故現場は生活道路なので通らなくてはならない。刑期を終えても小さな体を傷つけたことを忘れることなく、一生償い続けることを強く望む。
判決は3月25日予定
17日に予定されていた論告求刑などは次回期日の3月2日に延期となった。3月2日の公判では、17日に出席できなかった被害者家族の意見陳述のほか、検察側の論告求刑、弁護側の最終弁論、被告人による最終意見陳述が行われ、結審となる見込み。判決は3月25日に言い渡される予定。