主張

「1・17」と津波 教訓を未来に継承しよう 津波警報に経験は生きたか

6千人余が犠牲となった阪神大震災から、27年となった。

再拡大する新型コロナウイルス禍で、例年の追悼行事は今年も中止や縮小を余儀なくされた。だが四半世紀以上が経過した今こそ、教訓の確かな継承が重要だ。

15日深夜から16日未明にかけては、遠く南太平洋のトンガ沖で起きた海底火山の大規模噴火に起因する津波が日本の太平洋沿岸に到達した。改めて被災の記憶の重要性を再認識する機会となった。大震災の教訓を未来につなぎ、災害に強い国づくりを誓いたい。

戦後最大の都市型震災となった阪神大震災は、日本の都市の脆弱(ぜいじゃく)さを露呈した。阪神高速道路が倒壊し、午前5時46分という早朝の発災にもかかわらず、神戸の街は至る所で炎に包まれた。停電後、再通電する際に引火する「通電火災」の怖さや、家具を固定しておくことの大切さなど、防災の重要性も思い知らされた。

わが国は地震大国である。平成23年の東日本大震災の死者・行方不明者は2万人近くを数えた。その後も地震は相次いでおり「国難級」とされる南海トラフ巨大地震は2030年代にも、首都直下地震は今後30年以内に70%の確率で起きるとされている。

度重なる震災を通じ、私たちは「備え」の重要性を学んできた。阪神大震災が起きた平成7年は「ボランティア元年」となり、そのノウハウは全国各地に広がった。実践的な防災訓練も各地で重ねられてきた。

地震の予測は難しいが、いつかまた必ずやってくることは間違いない。1月17日は犠牲者の冥福を祈るとともに、次への備えを確認する機会としたい。

折しも気象庁は16日未明、鹿児島県の奄美群島・トカラ列島や岩手県に津波警報、北海道から沖縄にかけての太平洋沿岸部全域に津波注意報を発令した。

水の力の恐ろしさ知る

避難指示の対象は全国8県で、約22万9千人を数えた。潮位の上昇は高いところで1メートルを超える程度だったが、高知県や徳島県では港に係留中の多くの漁船が転覆、沈没、流出し、水の力の恐ろしさを思い知らされた。

東日本大震災の大津波で甚大な被害を出した岩手県では比較的速やかに避難所が開設され、防災無線や警報のサイレンに促されるように、極寒の中、防寒着に身をくるんで徒歩で高台を目指す住民の姿が目立った。

津波の被災を免れるには海岸や河川から離れ、高台や頑丈な建物の高層階に逃げるしかない。それが震災の経験であり、胸に刻むべき教訓である。

奄美大島では避難に向かう車で渋滞が発生し、海岸線の道路で身動きが取れなくなる時間帯もあった。台風の防災には慣れた地域だが、多くの車が津波にのまれた東日本大震災の記憶は根付いていなかったらしい。

今後も地震や津波は日本列島のどこで発生してもおかしくない。防災や避難の経験値に地域差があってはならない。

首相官邸は気象庁による津波警報の発令を受けて危機管理センターに官邸連絡室を設置したが、岸田文雄首相の顔はみえなかった。これだけ広範囲の地域住民に避難指示が出される事態に、首相から何らかの発信、呼びかけがあってもよかったのではないか。

記憶の風化防ぐために

神戸市中央区の東遊園地では16日夕、阪神大震災の犠牲者を追悼する「1・17のつどい」の会場で、地震発生時刻の12時間前から並べられた灯籠に火がともされ、「忘」の文字が浮かび始めた。

日をまたいで翌朝午前5時46分に、市民らが黙禱(もくとう)する。

実行委員会はこの一文字に「震災を忘れてはいけない」という思いを込める一方で、27年がたった今も心の傷が癒えない遺族らの「忘れたい」という思いもくみたい、と説明している。

忘れない。忘れたい。相反するようだが、いずれも前を向くために必要な感情である。

どれほどの悲痛事であっても記憶は社会から徐々に薄れていく。そうした中で必要な教訓を風化させないためにも、また封印した記憶に年に1度、風を当てるためにも、大切な日付がある。

1月17日や、まもなく発生から11年となる東日本大震災の3月11日、そして終戦の8月15日とは、そういう日である。

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