平成7年の阪神大震災から27年となった17日、最愛の妻、静子さん=当時(68)=を亡くした神戸市須磨区の徳田秀夫さん(86)は、同市中央区の東遊園地を訪れた。震災で自宅は全壊、妻との写真もすべて失った。残ったのは思い出のみで「女房がいてくれたらと思うことは何度もあった」。しかし、この日だけは記憶の中の妻と会える。そんな気がして、今年も銘板に刻まれた静子さんの名前をそっとなでた。
あの日、徳田さんは当時住んでいた同市長田区の自宅から、電車で勤務先の兵庫県西宮市の郵便局に向かっていた。突然「ドーン」という衝撃を受け、脱線。何が起きたか分からないまま線路上を歩くうちに、状況が飲み込めてきた。
自宅に電話したがつながらず、自転車を借りて急いで帰宅。途中、うねるように傾いた阪神高速道路などの甚大な被害を目の当たりにし、「これでは古い家の多い長田は壊滅状態かもしれない」と不安が募った。
道路の寸断で迂回(うかい)を繰り返し、ようやく自宅周辺にたどり着いた。だが、目に入るのはがれきばかりで、静子さんの死を悟った。
自衛隊員に掘り起こしてもらった静子さんの遺体は、損傷が激しく、初めは直視できなかった。搬送されるまでの数時間、その場で寄り添った。「苦しかっただろうな」「早朝でなければ外出していて助かったかもしれないのに」。さまざまな思いが去来した。
「積極的な性格だった」という静子さん。出会いは60年近く前、共通の趣味のクラシック音楽がきっかけだった。大阪の百貨店でレコードを探している徳田さんに、「クラシックに興味があるんですか」と声をかけたのが10歳ほど年上の静子さんだった。徳田さんは「ナンパされた」と笑う。
意気投合し、知り合って1年ほどで結婚。子供はできなかったが「幸せな結婚生活だった」。休日にはよく2人で、三宮の神戸国際会館でのクラシックコンサートに出かけた。
ほかにも、山登りや釣り、レストラン…。2人での思い出は尽きないが、心残りは自宅の倒壊で静子さんの写真など「お金より大事なアルバム」が全て失われたことだ。がれきの中を何度も探したが、ついに見つからなかった。
夫婦をつないだクラシック音楽は今も好んで聴く。テレビで毎週放送されるクラシック番組を見ながら、ワインやブランデーを傾けるのがささやかな楽しみだが、ふいに静子さんとの思い出がよみがえり、「懐かしくも悲しくもある」。
親類がいない徳田さんにとって静子さんは唯一の家族だった。再婚話も4回あったが、「私にとって最愛の人は女房。何年経っても変わらない」とすべて断った。
1年ぶりの再会となる27回目の命日。静子さんの名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」の前で、「会いに来たよ。ごめんね、ほったらかしにして」と声をかけた。目を真っ赤にして手を合わせ、誓った。「命ある限り、女房に会いに来る」(倉持亮)