母と親類亡くす 今年も鎮魂の祈り 阪神大震災27年

写真を見つめ、震災で亡くなった親類らに思いをはせる鳥山伸子さん=9日、神戸市東灘区
写真を見つめ、震災で亡くなった親類らに思いをはせる鳥山伸子さん=9日、神戸市東灘区

阪神大震災から27年となる17日、神戸市東灘区の鳥山伸子さん(80)は例年と同じように、追悼行事が行われる神戸市中央区の東遊園地を訪れる。胸にあるのは、あの日一度に失った親類4人。そして2カ月後、故郷から離れた東京で亡くなった母親のことだ。

被災当時、東灘区の木造2階建てアパートの2階で暮らしていた鳥山さん。ベッドでまどろんでいると激しい揺れに襲われ、自室の床が抜け落ちた。暗闇の中での出来事。混乱もあり、自身がどのように落ちたかはっきりと覚えていない。

直後、別の部屋にいた夫が駆けつけ、「どこにおんのや」と叫ぶ。「ここー」と叫び返し、手を引っ張りあげられて助かった。

下の階には、親類夫婦と3人の子供が暮らしていた。そのうち、鳥山さんの部屋の真下にいた夫婦と1番下の男の子=当時(7)=は犠牲に。そのときに聞いた「助けて」という叫びと男の子の泣き声が今も耳から離れない。

アパート周辺の民家はすべて倒壊。隣にあった鉄骨3階建てのマンションも潰れた。親類夫婦の隣の部屋にいた夫の母=当時(84)=も、潰れた建物が部屋に雪崩込んできて亡くなったという。家の前の幅員は2メートルほど。「潰れた家屋などで道は埋め尽くされていた」と鳥山さんは振り返る。

「神戸に帰りたい」…かなわず

亡くなったのは親類だけではない。鳥山さんの母、マツ子さん=当時(83)=は倒壊した隣のマンションにいたが、幸い命は無事だった。住むところもなく、被災地となった神戸で暮らす負担を考慮し、東京にいる鳥山さんの妹(77)が引き取った。

しかし、震災から2カ月後の3月16日、マツ子さんは東京で亡くなった。「神戸に帰りたい」と漏らしながら。鳥山さんは「年を取ってから住み慣れた神戸を離れたことや、震災で家を失ったストレスが影響したのだと思う」と考えている。

救いは親類夫婦一家のうち、1階の別室にいた長男(40)と次男(38)が生き延びたことだ。2人は兵庫県豊岡市にいる別の親類の元に引き取られ、毎年1・17に合わせ鳥山さん宅を訪れる。

あの日聞いた「助けて」という叫び声が忘れられない。親類の墓は神戸から離れた豊岡市にあり、「そこまでは行けないので元気なうちは毎年(東遊園地に)通いたい」と鳥山さん。親類と母の鎮魂を祈り、27回目の追悼行事に臨む。(倉持亮)

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