コロナ確認2年

変異と流行繰り返し 感染は「第6波」へ

国内で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されてから15日で2年が経過した。この1年は新たな変異株の出現と結びついた流行の波を繰り返し、今また、感染力が非常に強いオミクロン株によって第6波に突き進んでいる。一方で武器となるワクチン接種や治療薬の開発も進み、ウイルスの特徴を見極めながらの対策が模索されている。

1353人-。令和2年12月31日、第3波の感染拡大傾向にあった東京都の新規感染者が1000人の大台を突破し、衝撃が走った。3年に入っても勢いは衰えず、1月7日に都内で2520人が確認され、8日には全国で8000人を超えた。

政府は同日、2年春以来2度目の緊急事態宣言を発令。人流抑制などで一度は感染減少に向かったが、英国由来のアルファ株への置き換わりが進んだことで、春の第4波が到来する。いち早く蔓延(まんえん)した関西圏では病床逼迫(ひっぱく)により、自宅待機中の死者も相次いだ。

東京五輪を控える中、流入してきたのがインド由来のデルタ株だ。アルファ株の1・5倍とされる感染力が猛威を振るい、第5波に突入。8月中旬のピーク時の感染者は都内で5908人に上り、全国では2万5000人を超えた。ワクチン効果などで感染が抑制され、4度目の宣言が解除されたのは10月1日だった。

国内初確認から2年間の全国の累計感染者数は約180万人。最初の1年は約30万人で、次の1年では5倍にあたる約150万人が感染したことになる。

第5波では感染の急拡大に医療体制が追いつかなくなり、酸素投与が必要な重い中等症でも入院できず、死亡するケースが続出。これを教訓に、政府は全国のコロナ病床を約3割増やすなど医療体制の拡充に重点を置き、第6波に備えた。

かつてない感染力の強さをみせるオミクロン株に対し、政府は感染者を原則入院させる方針を転換。ワクチンの追加接種と経口治療薬を活用し、自宅療養を中心とした医療で乗り切れるかが試される。「オミクロン株は本当に重症化しにくいのか」。専門家らの最大の関心もそこに尽きる。

高齢者3回目接種、カギは前倒し

第3波と第4波では、高齢者の方が重症化や死亡リスクが高いことが鮮明となった。ただ、高齢者のワクチン接種が進んだ第5波では、死亡率が低減したことも分かっており、オミクロン株に対抗するための3回目接種の前倒しが急がれる。

厚生労働省のデータに基づき性別、年代別の死者数を分析すると、第3波は男性の約87%、女性の約95%が70代以上だった。第4波もそれぞれ約84%、約94%を70代以上が占め、死者数は連日100人を超えた。一方、8月末に65歳以上のワクチン2回目接種率が9割近くに到達。第5波は70代以上の死者の割合が男性約65%、女性約84%に減り、全体の死者数も抑えられた。

ワクチンの効果は、重症者の割合にも反映されている。東京都の資料によると、第3波のピーク時に60代と70代が合わせて約70%に上ったが、第4波には約57%となった。さらに第5波には約35%に減り、50代が約42%と逆転した。

横須賀共済病院(神奈川県横須賀市)の長堀薫院長は「第6波も高齢者に3回目のワクチン接種が間に合うかがカギを握る。家庭内に感染が広がったときに、高齢者の入院率がどうなるかを注視したい」と話す。

第5波教訓、稼働可能な病床確保急務 東邦大教授・舘田一博氏

舘田一博・東邦大教授(感染症学)
舘田一博・東邦大教授(感染症学)

昨夏の流行「第5波」では、かつてない爆発的な感染拡大を経験した。デルタ株は予想を上回る速度で広がり、整備の追いつかない医療現場は混乱を極めた。

新規感染者が減少に転じた要因は、64歳以下へのワクチン接種の進展が大きいだろう。感染で抗体を得たケースを含め、強い免疫を持つ人が一気に増え、集団免疫に近い状態が生まれた。自宅などで亡くなる感染者らの悲報が連日流れ、人々の感染対策が強化された側面もあったと感じる。

現在、さらに感染力の強いオミクロン株が急速に広がっている。医療現場では、患者の濃厚接触者となった医師や看護師らが休職を余儀なくされるケースが出ている。人材不足を起こさないため、政府が濃厚接触者の隔離期間の短縮を行うことは当然の流れだ。

第5波では、稼働できない病床の問題も浮き彫りとなった。単なる数合わせではなく、稼働可能な病床を確保し、状況に応じて酸素ステーションなども準備できる態勢を早急に整えなければいけない。

収束に向けて重要になってくるのは、やはりワクチンだ。「まずは高齢者を守る」というこれまでの日本の哲学に沿いながら、3回目接種をできる限り前倒しで進める必要がある。

経口治療薬への期待も大きい。治療に広く用いられる道が開け、感染症法上の扱いが季節性インフルエンザなどと同じになれば、新型コロナとの向き合い方は落ち着いたものへと変化していくだろう。(談)